サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

死ぬこととと生きること

中学校の同窓会の案内が来ました。先月は高校の吹奏楽部の同窓会があって高知に帰省したのですが、還暦を過ぎると急に同窓会の案内が来るようになりました。定年を迎えて多くの人が現役から退き、昔の思い出を振り返る時間ができるようになるためでしょうか。

吹奏楽部の顧問の先生は卒寿を過ぎているのですが、いまだに40キロほどを車を運転して通っていると伺いました。「あと2,3年すると運転免許を返さないかんかもしれんなぁ」と仰ってました。びっくりするほどお元気でした。

同窓会は、いきなり半世紀ほどの昔にタイムスリップし、青春真っ盛りのころそのままの気分になります。相手の顔は老けていても面影はあり、話している自分も老けているはずなのを意識の外に押しやって、自分は18歳のつもりでいるのですから、おかしいものです。あの頃、授業が終われば遅くまでトロンボーンを吹いていました。3年間の高校生活のなんと永くて充実した時間だったかと、いつも思い返します。しかし、そのように思い返すことができる人生の最良の時間は、20代、30代と時を経るにつれて少なくなってきました。確かに仕事には熱中もしたし、それなりの成果も上げたと自負しているのですが、それらの時間を、高校生の頃のような、めくるめく喜びを伴って思い出すということはないのです。

トルストイの『イワン・イリイチの死』に次のようなくだりがあります。イリイチがまもなく苦痛を伴った死を迎えようとするときの一節です。

 「おまえには何が必要なのだ? 何がほしいのだ?」彼は自分に向けて繰り返した。「何がほしいって? 苦しまないことだ。生きることだ」彼はそう答えた。
 そして再び彼は全身を耳にした。意識を緊張させるあまり、痛みにも気づかないほどだった。
 「生きるって? どう生きるのだ?」心の声がたずねた。
 「だから、かつて私が生きていたように、幸せに、楽しく生きるのだ」
 「かつておまえが生きていたように、幸せに、楽しく、か?」声は聞き返した。
 そこで彼は頭の中で、自分の楽しい人生のうちの最良の瞬間を次々と思い浮かべてみた。
 しかし不思議なことに、そうした楽しい人生の最良の瞬間は、今やどれもこれも、当時そう思われたのとは似ても似つかぬものに思えた。幼いころの最初のいくつかの思い出をのぞいて、すべてがそうだった。
~~~~~~
当時は歓びと感じていた物事がことごとく、今彼の目の前で溶けて薄れ、何かしら下らぬもの、しばしば唾棄すべきものに変わり果てていくのであった。

法律学校を卒業し、人生の成功の階段を上るにつれて、イリイチの人生から生気が失われていくのでした。いや、いま死の瀬戸際のベッドの上で振り返るとそう思えるのでした。

 自分では山に登っているつもりが、実は着実に下っていたようなものだ。まさにその通りだ。世間の見方では私は山に登っていたのだが、ちょうど登った分だけ、足元から命が流れ出していたのだ・・・・・そして今や準備完了、さあ死に給え、というわけだ!
~~~~~~
(従僕や妻と娘と、医者と顔を合わせて) 彼らのうちに彼は自分を見出し、自分が生きがいとしてきたものをすべて見出した。そしてそうしたものがことごとくまやかしであり、生と死を覆い隠す恐るべき巨大な欺瞞であることを、はっきりと見て取ったのだった。(光文社古典新訳文庫 望月哲男訳より) 

イリイチは死ぬ1時間前に、落下しながらも光を見出します。そうして自分の人生は間違っていたが、まだ取り返しはつく、そのためには何をすべきか。死ぬ1時間前にこうした考えに到達するのです。

癌から助かりたい。死にたくない。もっと生きたい。そう思うのは自然なことです。しかし、イワン・イリイチのように「もっと生きるとは、どう生きるのだ?」と問い直してみることです。「楽しく、有意義な生き方をするのだ」、「ならば、楽しい、有意義な人生の時間とはどんな時間だ?」

サイモントン療法でも、がん患者が目標を立てることの大切さを強調しています。「もし、かろうじて命にしがみついているような状態だとしたら、それほどまでにしてやりたいと思うことはいったい何か?」を問うことを教えています。やりたいことを仕事のためにあきらめてこなかっただろうか? 子供を育て家庭を切り盛りするために、自分のやりたいと思うことを後回しにしてこなかっただろうか? そして、今わくわくすること、夢中になれることをやりなさい。それががんに打ち勝つ健康への道につながるのだといっています。

私の場合、やはり同窓会に集まった若かりしころの彼らと過ごした時間が一番に思い起こされるのです。そういうわけで、チェロを弾くことに夢中になれることが、私にとってはがんとの闘いでもあるのです。

モバイルバージョンを終了