サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

朝日新聞の購読を止めました。

朝日新聞の購読中止を販売店に電話で告げた。「何か私どもに落ち度があったのでしょうか?」と電話に出た店主らしい方が、戸惑ったように問い返してきた。「いいえ、そうではありません。朝日の論説は消費税の積極的な増税論だし、星浩はテレビでも消費税の大幅なアップを主張しています。もちろん新聞社の報道・言論の自由ですから尊重します。しかし、われわれ庶民は、消費税が増税されたら真っ先に新聞の購読から節約するのだよと、本社に伝えてください。」

こんなことを書いても大新聞社には痛くもないだろう。彼らにとっては購読料は紙代とインク代を補う程度の金額であり、利益は広告収入であるからだ。広告主の機嫌を損ねない記事を書くのが第一なのであろう。しかし、読者がいるから広告を出すんだという単純な基本的事実を忘れてはいないのか。

私の地域の販売店は昨年倒産したのか、閉鎖されて、別の販売店が配達を引き受けるようになった。新聞本社からは大量のオシガミ(拡販用の宣伝紙)を無理矢理押しつけられて、販売店の経営が立ちゆかないということはよく分かっている。販売店にはまったく申し訳がないのだが、私としてはこんな論調の新聞を購読し続けることはできない。そもそも消費税が創設されたとき、「将来の福祉のために」ということだった。中曽根は「小さく産んで大きく育てる」とうそぶいたものである。いままさに「大きく育てる」という時期に来たようだ。1997年に3%から5%に増税したとき、9兆円といわれる医療費の負担増とも相まって回復しつつあった経済をどん底に突き落とした。10%になれば、今消費税を100万円納めている町工場は200万円になる。増税分はそっくり下請けが背負い込むことになる。たしかに帳簿上は10%の消費税が払われたことになっているだろう。しかし、いまでも「消費税分は値引きを・・・」というのが日常的に要求されるのである。暗黙の要求であり、むしろ「消費税分は値引きしますから」とも言わないような業者ははなから使わないのである。「ギリシャのようにならないために・・」と菅総理は言っていたが、ギリシャは消費税を18%から21%へとあげ、一方で法人税を40%から20%に下げた結果、あのように税収に穴があいて財政破綻したのである。菅さん、『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』よ。

消費税の賛否を書くのはこれくらいにするが、われわれがん患者にも大きな影響がある。医療費の明細には消費税という項目がない。消費税はかからないのである。しかし病院が購入する医療資機材には消費税がかかってくる。つまり病院は患者から消費税はもらえないが負担しなければならないということだ。今でも赤字の病院経営はますます大変になることは予想できよう。それが患者に良い結果をもたらすはずがない。

朝日の購読は10数年来である。その前は読売を20年以上購読していた。読売が(なべつねが)「憲法9条の改正」を主張しだしたので、今回のように購読を中止して朝日に替えた。今また朝日を止めることになった。こうしてみると、日本の新聞界が徐々に右傾化してきた軌跡が、我が家の新聞購読という窓から透けて見える。当面東京新聞を購読することにしたが、別段紙面が気に入ったからではない。一番安いからというだけである。紙面が気に入らなければニュースはインターネットで見ればよい。

みんなが一?右による。少し遅れて自分も一?右へ。ときによってはみんなより先に右に一?移動する(朝日新聞のように)。この繰り返しによって、相対的な自分の位置を「中庸」に保とうとする。そして頑固に自分の主義を曲げない、「中庸」だった人間がいつの間にか「左」の烙印を押される。烙印を押されたくなければ「まぁ、世の中こんなものですから」などと言って、素知らぬ顔で一?右に寄るのである。ときの権力を監視しない新聞なら、折り込み広告の入れ物でしかない。こんな新聞は存在する必要がない。朝日も毎日も読売化することを目指しているかのようだ。しかしその方向なら先例がある。産経新聞だ。自民党の機関紙化した産経が今どうなっているか。購読料2950円でスポーツ新聞並みではないか(サンケイスポーツのほうが高い)。こんな未来を夢見ているのだろうか。

いつか来た道、こうして歴史は繰り返す。

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