サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

戦後70年の大晦日


戦後70年の今年も今日で最後。思い起こせばいろいろとあったけど、可もなし不可もなしというところか。母子家庭だった友人の息子さんが自殺したり、高校時代のクラブの先輩が1月に膵臓がんが見つかり、治療の甲斐もなく11月に亡くなった。抗がん剤も効果がなく、半年後には「緩和ケア」を薦められた。あまりの増殖の早さに、改めて膵臓がんの怖さを実感した。

ある調査によれば、がん細胞の数が倍になるのに要する倍加時間は、前立腺がんで400週、乳がんで30週、大腸がんで24週、肺がんでは18週、そして膵臓がんでは6週だという。これらは平均値だから、早い患者もあれば遅い患者もいる。まことに膵臓がんは「足が速い」

膵臓がんの多くは見つかったときには既に手術できないほど大きくなっているが、仮に倍加時間の3倍、18週早く見つけることができれば、直径では2分の1で見つかることになる。4センチのものが、18週(4か月)前なら2センチで見つかる。この時点なら手術が可能な例も多いに違いない。

だから、半年ごとに人間ドックを受けていた医者が、膵臓がんが見つかったが手術には手遅れだったということが、現実に起きるのである。早期発見が、とくに膵臓がんでは重要である。

さて、戦後70年の今年、政治の世界でもいろいろとありすぎた。忘年というが、忘れてはならないこともたくさんあった。時の政権が憲法を勝手に解釈して、戦争のできる国に邁進しようとしている。

私は昭和23年生まれだから、戦争を直接は知らない。物心ついたときには、戦地から引き揚げてきた親爺は、夫が戦死して未亡人となった母と結婚し、海岸の防波堤に抱きかかえられるようにして自分で建てた粗末な家で、闇のどぶろくを作って売っていた。少年時代は、戦争の影がいつも身近にあった。

誰も生きるのに必死だった。しかし、戦争も空襲もない平和をありがたいと思っていた。いや、平和とかを考える以前に食うのに必死だった。

  平和とは一杯の飯初日の出

しかし、今や、

  平和だが飽食という陰ありて

なのだろうか。(「平和の俳句」より)

ありがたいことに、直腸がんと膵臓がんと、人生で二度経験したが、平和のおかげで治療をすることができたのである。

来年は日本の行く末を決める正念場の年になるだろう。がんになっても安心して治療に専念できる日本であり続けたいものである。

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