サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

正月は温泉気分

元日から石和温泉の和穣苑で温泉気分でした。「一の宿?楽部」の宿でして、このところ続けてここに加盟している宿にお世話になっています。30部屋以下のこじんまりした宿ばかりだというのが気に入っています。

信玄の菩提寺、恵林寺にて初詣で。でも私は神社仏閣
で手を合わせたことも、賽銭を上げたこともない不信心者です。神や仏にすがる気持ちがこれっぽちもないのですね。人間の知恵を超えた何かの存在を信じることができない。人間の知恵の及ばない何かがあることは認めますが、それはまだ我々の知識がまだこの世界をほとんど知っていないというだけのことであり、それをもって超越的な存在を想定する必要はないと思っているからです。「まだまだ知らないことがたくさんある」ただそう思っていれば良いというだけのこと。がんが自然治癒することがあり、その機構を説明することはできませんが、だからといって「永遠なる存在」や「神・仏」を持ってくる必要はないのです。信じる人がいることまで否定はしませんし、勝手に信じている分には私の干渉する範囲ではありませんが。親鸞の『善人尚もて往生をとぐ いわんや悪人をや』ではないですが、悪人の私がこうして生きのびているのも、浄土真宗の教えるところかも?自信はありませんが。そういえば我が家は浄土真宗の檀家だった。一応は。五木寛之の『親鸞』が本屋に並んでました。そのうちに読んでみよう。

宿の料理は正月らしい飾り付けの組み合わせ。腕の良い料理長をお持ちのようで、心のこもった料理をおいしくいただきました。外出しないで連泊でゆっくりするつもりでしたが、妻が「忍野八海」に行ったことがないというので、予定変更。カメラを担いで忍野巡りと相成りました。


このヒョウタンをかたどった氷の器、どうやってつくるのかと聞いてみましたら、「ふうせんに水を入れてヒョウタンの形にして凍らせ、風船を割る」のだと。なるほどうまいことを考えるものだと感心しました。

年初の挨拶をたくさんいただいたのですが、「元気ですか?」という挨拶になぜか「まだ生きていますか?」という含みを感じてしまいます。

の従兄弟というのが、旦那がある企業で膵臓がんの抗がん剤を開発しています。すでに臨床試験も始まっているのですが、ですから膵臓がんの知識が我が愛妻よりも多くあるわけです。電話がかかってくると、私のことを心配して「○○さん、元気ですか?」と聞くそうです。「まだ再発しないでの?」という意味ですよね、これは。「「何をぐずぐずしているの!」という気は、相手にはないのでしょうが、そう聞こえるのはがん患者のひがみだけではなさそうです。暮れに借金の催促をされている気持ちになります。開発中の抗がん剤がビックルするほど効果があるものなら、「治験に参加してみたら」とでもなるのでしょうが、その申し出がないところを見ると、私の余命中の開発は間に合わないのかもしれんなぁ。

「2年半も再発しないというのは、もしかすると膵臓がんではなかった
のと違う。誤診かも」という、親切な(?)挨拶もありました。だとしたら、膵臓を切り取った私の立つ瀬がない。「誤診と違う、絶対に」と思わないことには、切り取った膵臓に申し訳がない。再発しないのは私の努力の結果ではなく、「たまたま」でしょうから、誤診という可能性もないことはない。『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』を読んでいるところですが、これがおもしろい。いずれがんとの関係を考察して紹介してみます。

今日の話題は、あっちに行ったりこっちに行ったり、まさに「Drunkard’s Walk 千鳥足」でした。

今年も、

  拾った命だから、のんびり生きる

まだ、サバイバーとは言えませんが、目標は「完全治癒

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