サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

一連のがんペプチドワクチン報道へ疑問

ご存じのように、東京大学医科学研究所のがんペプチドワクチン臨床試験において、膵臓がん患者に出血した事例があったのに隠していたのではないかと報道されました。

東京大学医科学研究所が15日に記者会見を行ないましたが、全体の全容は十分に明らかになったとは言えません。現時点で断定的な評価は下せませんが、疑問に思うことを書いておきます。

朝日新聞の記事の要点は、

ようするに朝日新聞の記事は、中村祐輔教授が開発した(これも事実誤認)がんペプチドワクチンであり、東大医科研が全体を把握できる状況にありながら、出血の事例を他の施設に伝えていなかった。これは厚生労働省の「臨床研究に関する倫理指針」に違反している、と主張したいようです。初期には「出血によって膵臓がん患者が死亡したが、それを隠していた」と報道したマスコミもありました。

この報道を受けて急遽15日に東京大学医科学研究所が記者会見を開いたのですが、その記者会見の詳細な内容は、どうしたわけか当のマスコミからは報道されません。記者会見に参加したパンキャンの眞島氏がブログに資料の一部をブログに紹介していますが、この程度の内容すらマスコミは報じていないのですね。

今回の記事は朝日新聞の記者が事実に基づかないで書いた。しかも医療知識の乏しい記者だった、と思います。16日の記事では「この試験は混合診療だった」と言うのですから、首をかしげてしまいます。臨床試験が混合診療違反だったら、日本では臨床試験は実施することができません。久留米大のWT1だって混合診療違反になってしまいます。

記事の意図はどこにあるのでしょうか。先の大阪地検特捜部の証拠ねつ造事件を思い出しました。まず事件の構図があって、それに合うように「事実」を集め、不利なことはさりげなく、自分の考えた事件の構図に有利なことは大きく書くという点も似ています。

進行性の膵臓がんであれば、残念なことですが、抗がん剤はいずれ効かなくなります。膵臓がんで亡くなられた昭和天皇の様態報道で「下血」とよく書かれたように、膵臓の臓器は出血を起こしやすい。われわれ膵臓がん患者は医師からも説明を受けます。手術にしたって合併症や術後大出血の危険があります。進行膵がんで癌が大きくなってくれば膵臓や周辺から出血するのはよくあることです。

記者会見で中村教授は「自然な出血のどこが問題なんだ!」と怒りをあらわにしたと報じられていますが、朝日の記事では「有害事象」と「副作用」とを、わざと混同させるかのような書き方になっています。出血はよくある「有害事象」には違いないのですが、それがペプチドワクチンの「副作用」だとは限らないし、その可能性は低いと医師たちは判断したのです。しかし、100%ということはあり得ないから、念のために潜血反応の出た患者は臨床試験から外したのでしょう。外された膵臓がん患者のがっかりした姿が目に浮かぶようです。残念だったに違いありません。また、膵臓がんのペプチドワクチンは、膵臓がんが自分への栄養を確保するための血管をつくることを阻害する血管新生阻害剤として働くのであるから、研究者間では出血の可能性があることは当然の常識に属することなのです。当事者間では”常識”に属することを、知識のない新聞記者があたかも恣意的に連絡しなかったかのように描いているのです。もちろん、がんのための自然な出血なのか、ワクチンの副作用であるかは特定することはできないでしょう。しかし、研究者間では可能性は周知されており、そのために臨床試験も中止となったのではないでしょうか。

臨床試験とは本来リスクを伴うものです。新しい治療法を開発しようとして、今回はその「安全性」を確認する試験でした。有り体に言えば、患者を治療するための試験ではなかった。あたりまえのことです。まず安全を確認する。その後に効果を確かめる試験に移る。臨床試験に参加した患者は、そのことは十分に承知していたはずです。「新しい治療法を開発する手助けができればいい。そしてあわよくば、自分に少しでも延命効果があればなお良い」と。

朝日の記事はいったい何を訴えたいのか、良く理解できません。AとBという、別の組織が行なっている似たような臨床試験があり、Aで出血例があってすでに参加者の共有知識になっていた。すこし後でBの(単独での)試験でも同じような出血例があった。別の臨床試験であっても、それも報告すべきだというわけですか?しかも「副作用」でもない、ありふれた出血です。第二の村木さんをつくりたいということでしょうか?

どうもこの国はおかしな方向に行っている気がします。ISOやPL法が施行されたころから、なんでも書面で残して公にするのが正しいことだという風潮です。電気製品の取扱説明書を開くと、最初に延々と「安全取扱状の注意」とか書かれた部分がありますが、あんなもの誰も読みはしません。一度目を通せばよい。次に別の製品を買ったってまったく同じことが書かれています。誰が読みますか。しかし、PL法ではあれを書いておかないと事故があったときにメーカーの責任になるのです。要するに製造物責任を忌避するためのおまじないですから、使用者が読んでも読まなくてもそんなことは関係がない。取りあえず書いておけば責任はとらなくても良い。朝日の記事は、「出血があれば取りあえずみんなに周知しておくべき」ということでしょうが、こんな情報がたくさん集まれば取説のおまじないと同じ、取りあえず送られたCCメールと同じで、大事な情報がその中に埋もれてしまいます。

医療の分野でも同じこと。インフォームド・コンセントといえば聞こえはよいが、医者が責任をとらなくても良いように署名をさせるというものになりはてて、本来の医者と患者とが共同して治療法を探っていくという精神がありません。どうしてこうなったのか。大きな責任はマスコミにあります。いろいろな医療事故を、医者や医療機関の責任・怠惰・誤魔化しのように報じてきたのがマスコミです。もちろん、そうした医療事故もあったに違いない。しかし、医療とは本来リスクが伴う行為でしょう。医者もミスをするのがあたりまえでしょう。人間だもの。マスコミによって医者も萎縮してしまった。

「リスクゼロ社会」こうしていつの間にか日本人はリスクはゼロであるのがあたりまえで、リスクが生じたら誰かに責任がある。私はリスクは負いたくない、いやだ。こんな社会になってしまったようです。これでは産婦人科医も小児科医もなり手がなくなるのはあたりまえです。リスクに果敢に挑戦する「プロジェクトX」のような集団・人物がいてこそ科学も新しい技術も陽の目を見るのです。取りあえず書いておけば良かろうという「リスクゼロ」思想では、新しい発見も進歩もありません。

私事ですが、仕事である建物の検査を依頼されたことがあります。客が「検査を受けたらこの建物は大丈夫だという保証をしてくれますか?」と尋いてきた。「検査に100%はありえません」と、私は直ちに断わった。わずか数10万円ほどの金額で、数億円する建物の保証などやってられません。その保証責任を逃れようと思ったら、事前に膨大な契約書類を書いてハンコをもらわなければならない。そんなことやってられるか。医療だってそうなりつつあります。医者は治療よりも医療過誤裁判を怖れて汲々とするようになる。現にそうなっています。そうして最終的に不利益をこうむるのは患者であり国民です。

がんペプチドワクチン療法に対しては、私は夢のような効果は期待できないだろうと思っています。しかし、最終的な臨床試験の結果がでなければ本当のことは分からない。膵臓がん患者にとっては、たとえわずかの効果しかなくても、GEMとTS-1が効かなくなったら「あとはホスピスですね」となる現状を、少しでも解決してくれるかもしれないと期待はしています。「多施設での臨床試験は勿体ない」と言ったファッションモデル国会議員もいますから、今回の件がもとでがん患者の臨床試験への予算配分が”仕分け”されることも怖れています。

朝日新聞は、先にホメオパシーを叩いたから、今度は最新医療の開発を叩いてバランスをとろうということなのか? あるいは国立がん研究センターのいざこざと関係のある戦略的な動きなのか? 国立がん研究センターでは嘉山新理事長の下で改革が進もうとしているが、人事的なさまざまな問題があると聞こえてきます。東病院の組織図を見ると、牛蒡子が膵臓がんに効くという実験結果を読売新聞だけに報道させた江角病院長がいなくなり、副院長が院長代理のままとなった状態が長く続いています。研究所長となった中村教授への風当たりも強いのかもしれませんね。誰かがマスコミに情報を流した可能性もあるかもしれません。

今回の報道によって、ただでさえ萎縮している日本の医療現場ですが、さらに医療開発現場も萎縮するようにならないかと危惧しています。

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