サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

おかしなことばかり

理解できないことばかりで、頭が混乱しそうだ。ひとつには消費税。社会保障費が自然増だから消費税を増税するという。しかし、消費税を導入するときにも同じような言い訳だった。結果は消費税の税収分とほぼ同じ額の法人税減税に回ったのだ。こんどは消費税を上げたら景気が悪くなるから、法人税を下げるという。これが分からない。結局は広く浅く消費税を取って、内部留保も一杯あるところに減税をしようというわけだが、これってまともな思考の持ち主が考えることか。

消費税を上げるために景気をした支えしなければならない。そのために公共事業を増やす。国の借金が増えるから、財政再建は遠のく。だから消費税を上げなくて離らない。消費税を上げたら景気が減速するから、法人税減税だ。おいおい、これって消費税を上げなければ皆すっきりと解決するのじゃないか。そして、身の丈に合った生活をするように、不急不要なところの予算は削る。何年も税金を納めてこなかった銀行や大企業に応分の負担をさせる。あるとところから取ってくれば良いだけの話だ。

大阪府教育長が、式典に置いて君が代を斉唱しているかどうか「口パク」のチョックをするようにと通達を出した。「公務に対する府民の信頼を維持する」という理由だそうだが、君が代の斉唱と「「公務に対する府民の信頼」がどのようにリンクするのか。大阪府民は教育の内容ではなく、上からの命令に唯唯諾諾と従う自主性のない教師に信頼を寄せるというのだろうか。そういう教師を見ている生徒は、やはり長い物には巻かれろというような人物に育つのではなかろうか。教師への信頼は一人一人の生徒の個性を尊重して伸ばしてくれる、必要な基礎学力を粘り強く教えてくれるような先生にたいしてわき起こってくるのではないだろうか。

静岡では学力テストの生成期悪い学校の校長名を公表するのだという。こういう懲罰的な対応で、生徒の学力が伸びると考えているとしたら、教育の本質をまったく理解できない人物が教育委員なり教育長になっているということだろう。だいたいが、校長の尻を叩いたからといって生徒の学力がどうして上がるんだ。校長なんて朝礼や卒業式の時にしか顔を見ないし、授業をするわけでもない。教育長の命令一下、校長、教師や生徒も意識を入れ替えて熱心に勉学に励むはずだと考えているとしたら、こんな教育長となる人物を育てた教育はどういう内容だったのかと無性に知りたくなる。前回の記事に書いたように、彼らの中には「計算高いサル」がいるのだろう。

こんな世の中で、正気を保って生きることは、はなはだ困難だ。

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