サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

日野原さんのラストメッセージ

クローズアップ現代+で、先日105歳で亡くなられた日野原重明さんの『“死”をどう生きたか 日野原重明 ラストメッセージ』を放映していた。

『生き方上手』などの著書でで日野原さんは、自らや周囲に対して「死をどう生きるか」という問いを発し続けてきた。

「その最期にね、ありがとうっていう、自分が生を与えられたことに対する感謝をね、いろんな方面にね、自然にこう、声が出るようなことがあればいいと思いますね。だから私は、いよいよ苦しいときにモルヒネなんか、こういろいろするけどね、意識が全くなくなってしまうと感謝の言葉が出ないから、そこまで強いお薬を使わなくても、いま死んでいく自分だっていうことが分かる意識があればね。その時にその人はそういう言葉を心の中にでもね、出すことが出来るっていうように思うわけですよね。

こう語っていた日野原さん。しかし、妻の静子さんが認知症になり、最期のときには「ありがとう」という言葉は聞くことができなかった。「平穏死のすすめ」を説く日野原さんも、実際に妻の最期をどうすべきか、もっと生きて欲しいという気持ちに揺れ動いた。


ご自身の死についても、次男の妻、日野原眞紀さんは回想する。
「やっぱりまだ未知の部分で自分が体験していないから、『そこにはやっぱり不安と怖さがあるよね』っていうようなことを言ったんですよ。人の死をたくさん見てきて、75年も臨床医をやってらしてて、そんな思い、やっぱり怖いっていうのってあるんだなと。」

あの日野原さんにしてもそうなのだ。死を受け入れるなんて、簡単なことではない。しかし、日野原さんはやはり栄養補給も胃ろうも拒否された。

亡くなる3週間前まで、講演の依頼に応えようとリハビリに励んでいたというが、死ぬまで人の役にたちたいという思いなのか、あるいは生への執着なのか。たぶんその両面があったのではないだろうか。

柳田邦夫さんの次の言葉が印象的だった。

人間の精神性というのはむしろ、定年後とか病気をしてから成熟して、成長するので、しかもそれは死で終わらないで、亡くなったあとも、その人が残した生き方や言葉というのが後を継ぐ人の中で生き続ける。これは今までの日本の人々の考えの中で支配的だった、老いや死を暗く考えるっていう考えを180度変えて、むしろそれはチャレンジする新しい生き方なんだっていうことを日野原先生は身をもって教えてくれた。

がんでも精神的に成熟したと言えるような生き方ができれば理想的だ。

ご冥福をお祈りいたします。

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