サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

今日の一冊(78)『65歳からは検診・薬をやめるに限る!』

名郷直樹医師の本は、何度も紹介しています。彼の主張が私の考えに良く合うからです。

長生きがそんなに大切ですか?

長生きするのは善なのか?

スパコン「京」の開発予算の審議で、蓮舫さんは「2番ではダメなんですか?」と言ったが、世界一の長寿国になっても「1番でもダメ」なようで、まだ健康第一だとやっています。これじゃおかしくないですか?

ということを書いているのが名郷直樹医師の『「健康第一」は間違っている』なのです。タイトルだけをみると「医療否定本」のようですが、名郷医師は『EBM実践ワークブック』などの医師向けの著作もあり、EBMに基づく医療を先進的に行ってきた方です。

世の中が「健康第一」「長生き第一」「医療は万能」にぶれすぎているから、真逆の考えをあえて打ち出そうというのです。

今回紹介する著作『65歳からは検診・薬をやめるに限る!』も同じ趣旨ですが、高齢者の治療に焦点を絞って書かれています。

老人に「いつまでも元気で長生き」を強制している社会の風潮があるのではないか。人間に寿命があり、医療や薬では老化は防げないのだから、「いつまでも」は無理だと誰もが分かっている。しかし、寝たきりで家族に迷惑をかけたくないから、無理に運動し、塩分を控え、甘いものも我慢している。どこか少し調子が悪いといっては病院で薬を出してもらって安心する。

子どもが独立して、定年を迎えたら「健康第一」はやめて「今の時間を楽しむ」、高血圧や血糖値なんぞは気にしないで「おいしいものを食べる」のが得策だ。

薬を飲んだからといって、長生きできるわけではない、むしろ副作用で寿命を縮めることもある。65歳を過ぎたらがん検診もしない方が良い。早く見つけたからといって長生きできるとは限らないし、抗がん剤の副作用で返って余命が短くなる。

膵臓がんはピンピンコロリに近い最期かも

「ピンピンコロリ」が理想だというが、がんで死ぬのは「ピンピンコロリ」に近いのじゃないだろうか。ある日気づいたら膵臓がんの末期だった、というのは高齢者にとっては「ピンピンコロリ」の理想的な最期かもしれない。苦しいのは最期の数日からせいぜい1ヶ月程度だし、膵臓がんでも最期の日までほとんど痛みのない人もいる。

80歳になろうかという末期がんの親を、あちらこちらの病院や先進医療にと奔走している家族や子どももいる。熱意や愛情は充分に理解できるのだが、それは果たして高齢者の親にとって幸せなことなんだろうか。本人の意思を尊重してのことなのだろうかとしばしば思う。実は「息子が、もっと長生きしてと熱心に勧めるから、仕方なく抗がん剤を打っている」という患者は意外と多いのだ。

先の旧『すい臓がんカフェ』(現在は『膵臓がん患者と家族の集い』)にもそうした方がいて、私は「もちろんあなたの価値観次第ですが、無理に治療をすることもないのでは。それよりも今の時間を有意義に過ごすことを考えては」と話した。その方は「なんだか気持ちが吹っ切れました」と納得した様子で、次回のカフェにも参加してくれました。

私は主治医に「再発転移したら積極的な治療はしません」と何度も宣言してきた。膵臓がんが見つかった当初のブログにも「人は何かの原因で死ぬ。がんで死ぬのは悪い何かではないよな」と書いたものだ。その覚悟で生きてきて「たまたま」生き残っただけの話し。

「いつまでも元気で長生き」なんぞと、不可能な夢はもうそろそろ捨てても良いのではなかろうか。そんなことに悩むより、人は老いるのが当然。がんにも病気にもなる。老いたら子どもや介護保険の世話になれば良い。ぼけや徘徊も老いがなせるものと達観し、ぼけた老人が人権を尊重されて余生を送れる、そうした社会にする方向に力を尽くせば良い。超高齢社会を迎える日本は、高齢者が幸せに死を迎える社会になれるかどうかのテストケースだろうと思う。

高齢者は検診もしない、がんになっても治療をしないも1つの選択肢です。もちろん積極的に治療法を探して挑戦するのも、その方の価値観次第で、決して悪いわけではない。

高齢にがん患者の親をもっている方には「目から鱗」かもしれません。

モバイルバージョンを終了