サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

がん患者の人生プラン

来年の手帳は購入しなかった。今年の手帳を開いてみても、ほとんど使っていなくて、せいぜい病院の定期検査の予定とか、薬をもらう日が書いてあるだけだ。がんになる前は手帳が真っ黒になるほど書き込んでいた。しかし、がんになってからは、時間を惜しんで効率的にこなすことを止めた。そんな考え方が、がんになった一因かも知れないと考えたからだ。仕事の予定、ToDo、検査の予定程度ならOutlookで間に合う。メモ書きならlinoというオンライン付箋サービスが役立ってくれる。

手帳は買わなかったが、計画まで立てないというわけではない。29日のNHKスペシャル「働き盛りのがん」で紹介されていた関原健夫さんの闘病記、『がん六回 人生全快』に、関原さんが最初の大腸がんを告知された時、同じニューヨークにいて乳がんと闘っていた千葉敦子さんからこんな手紙をいただいたという箇所がある。

癌患者はふた通りの人生設計を持たなければなりません。治療が失敗した場合と成功した場合と。そのふたつの仮定に立って、いま自分にとって何が一番大切か、を選ばねばならないのです。もし、五年生きられたら、本当にもうけものなのですから。・・・・・・・・私は一年と六ヶ月のプランもつくっています。最初の六ヶ月生きられたあとの喜びは忘れられません。

実は私も膵臓がん手術の入院中に退院後の計画を立てたのだった。膵臓がんの場合は6ヶ月の計画でも長すぎる。手術の適用がない患者では3ヶ月で半数の人が亡くなる。幸い手術ができた私のような幸運な患者でも、6ヶ月ことに半数が亡くなる。ところが私は2年と4年の計画を立てた。千葉敦子さんの計画は、「5年生きられたらもうけもの」を前提とした計画だ。しかし、私の計画は「治癒するための計画」という考えだった。サイモントン療法を解説した川端伸子さんの著作『がんのイメージ・コントロール法』にある「2年間の健康プラン」に勇気を与えられて立てたものだったからだ。千葉さんの計画は、治癒した場合と治癒しなかった場合の計画であり、「治癒するための計画」がない。実際はあったのかも知れないが、この手紙では触れられていない。

治癒するための計画の内容は、このブログで書いてきたとおりのことで、歩くこと・チェロを楽しむこと・玄米菜食・たくさんの古典や科学の本を読むことたくさんの楽しい時間を持つこと、生きがいを持つこと、希望と夢を持つこと。そして最も大きな夢が「自宅を建て替える」ことだった。私が死んだあとの家族の生活を考え、自宅を賃貸・貸店舗併用住宅にしてか細い年金でもひとり残された妻が暮らしていけるようにという計画だった。退院してすぐの2007年9月に業者を呼んでプランを立てさせた。ただし、完成するまで私は生きていない可能性が大きいから、それを了解して欲しい。契約までに再発したら、この計画は中止にします、という約束で始めた。もちろん私としては、完成するまでは絶対に死ぬことはできない、という決意だった。

業者選びと設計には1年をかけた。もちろん癌患者に住宅ローンは貸してくれないから、事業ローンにした。これなら団体信用生命保険に入る必要はない。この間、家族全員で設計プランを練りに練った。この時間が一番幸福で豊かな時間だったような気がする。幸い、再発はしなかった。今年の2月に自宅を解体して仮住まいになった。9月には完成して新居に戻ってきた。テナントも全て満室になり、ローンの返済も心配はなくなった。これが私の2年のプランだった。

4年のプランは、年金を満額もらえるまで生きてやろうということだ。64歳になるまでなにがなんでも生きて年金をもらわなければ悔しいではないか。それと、チェロで市民オーケストラに参加する夢も、4年後までには実現したいと欲張ってみた。(こちらはかないそうにない。上達が遅すぎる)

千葉敦子さんの「がん患者はふた通りの計画を」はその通りだと思う。更に私が付け加えたいのは、どちらの計画にも「治るためにするべきこと」と、治っても治らなくても「自分の本当にやりたいこと、大切だと思うこと」を必ず入れるべきだ。桜を見ても紅葉を見ても、本を読んでも、すべて「一期一会」だという思いで体験してみることだ。

再発もなしで、計画達成した我が家で迎える新年は、我が人生で一番輝いていたと言える新年になるに違いない。そして、来年の計画と希望は、がん患者にとって一番贅沢な希望、

   今年と変わらない新しい一年でありますように

ということです。

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