サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

腫瘍マーカの数値は信用できるのか?

足利事件でDNA鑑定により犯人とされた菅家さんの無罪が確定したというニュースはまだ記憶に新しいが、先日(7/16)は神奈川県警で科学捜査研究所のDNA誤登録が原因で別人を逮捕したという事件が報じられた。

DNA型鑑定の精度は足利事件当時とは格段に向上して、同一パターンが出現する確率は4兆7000億人に1人といわれる。ところが、一般に実験・試験において検体の取り違え、何らかの記載ミス、事故などにより間違いを犯す確率は、公表はされていないが多くの専門家はそれを100分に1程度だとしている(『たまたま』レナード・ムロディナウ著、P.58)。仮に試験機関においてミスを犯す確率が100分の1としよう。試験機関がミスを犯す確率とDNAのパターンが一致する確率は独立した事象だと見なせるから、DNA鑑定において無実の人が犯人とされる確率は、これらの合計である。(偶然の一致と人為的ミスはどちらもあまり起きそうにないから、両方が同時に起きる確率は無視して差し支えない。したがってどちらか一方が起きる確率を求めればよいのであり、統計学では独立した事象のどちらかが起きる確率は、それぞれが起きる確率の合計であることを教えている)

そして4兆7000億分の1は100分の1に比べて無視できるほど小さいから、えん罪の起きる可能性は100分の1として差し支えない。これはどうみても無視できるような数字でない。

つまり、足利事件裁判においてはDNAの鑑定精度を云々するよりも検体の取り違えなどの人為的ミスの確率を問題にすべきであった。そして人為的ミスの確率は決して小さくはなく、人間は必ずいつかはミスを犯すだろうから、これからもえん罪は起き続けるだろう。さらに、人為的ミスではなく意図的に検査結果の信憑性を低下させるような行為があるとしたら、誤鑑定の確率は10分の1程度に上昇しても不思議ではない。

がん患者にとって重要な検査項目である腫瘍マーカにおいて、こうした人為的ミスがあるとしたらどのような影響があるだろうか。CA19-9が500→300→200と下がってきた。患者は安心して現在の治療法が効いているのだと思うし、医者も同じように考えて今の治療法を継続するだろう。しかしその測定値がミスによるものであって、実際は300→400→500なのかもしれない。測定値が信頼できなければ治療方針に確信が持てない。もちろんどのような測定にも誤差はある。誤差の範囲を考慮して検査結果を判断すべきである。しかし、その検査に人為的ミスだけではなく、意図的な悪意に満ちた、いい加減な検査があるとしたら、ことはがん患者の命に関わる重大事である。「現在のガン治療の功罪」で梅澤医師がその実態を書いている。それも最近のできごとらしい。

大手といわれる試験機関において検査の信憑性が疑われており、それを指摘されているにもかかわらずいまだに公表も弁明もしていないという。梅澤医師はマスコミの取材を通じて公になるはずだと予告している。ある医療事件で患者の立場に立ち、内部告発をしたこともある梅澤医師である。今後の展開に大いに期待したい。

今はどこの病院も経営が苦しい。従って外注経費の削減は至上命令であろう。外注に出す検査費用も安いところを優先するに違いない。そして試験機関も単価を安くしなければ病院から仕事がもらえない。そのためにはどうするか。手っ取り早いのが高価な試薬を薄めて使う、あるいはより安価な試薬に変更するということが日常的に行なわれているとしても不思議ではない。詳細は忘れたが、何年か前にそのような事件が報じられたという記憶がある。鰻や牛乳、赤福に白い恋人。医療の検査ではこのようなことは起きていないと思う方が、脳天気すぎると言えるに違いない。

つまりは、より安く、より利益を上げるという経済論理が医療の分野でも横行しているのである。公平な競争は必要であり、無駄は省く必要があるが、現在の医療行政のもとではそれが常識的な水準を超えており、もはやまともな経営者では経営ができないというレベルにまで悪化してしまったということではないだろうか。営利企業である検査会社だけではなく、民間資本を導入した病院経営の行き着く先を暗示しているできごとである。

腫瘍マーカの数字がまったく信用できないということは、われわれがん患者は目隠しをされて横断歩道を渡らせられているようなものである。大きな不安と憤りを感じる。

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