サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

小さき花

京都東山にある建仁寺は、臨済宗建仁寺派の総本山ですが、俵屋宗達の国宝「風神雷神図」があるお寺(現在は京都国立博物館に寄託)といった方が分かりやすいかもしれません。若き道元も入宋する前にここで修行をしたのでした。
Fujinraijintawaraya

昨年ですが、東京都大田区に住む書道家・金澤翔子さんの大作「風神雷神」が、建仁寺に奉納されたと報道されました。

27日の「徹子の部屋」にも出演されていましたから、ご覧になった方の多いと思います。翔子さんは染色体異常によるダウン症と診断されました。書道家のお母さんは「二人で死ぬことばかり考えていた」と言います。5歳で書道を始めるとめきめきと才能を現わします。19歳で雅号「小蘭」を取得して何度かの個展も開いています。


その金澤翔子さんが加島祥造さんと出会って生まれた『小さき花』を読みました。その躍動するような書には、書に関する知識の全くない私でも感動してしまいます。

本の「はじめに」から加島祥造さんが出版に至った経緯を紹介します。

 老年になると余計なものが削ぎ落とされて、本当に大切なもの、必要なものがもっと鮮やかになる。
 そんなことに気づき始めたとき、不思議な出会いがあった。
 まさに、「人間の本当の姿」を持った人たちだ。
 その一人が、この本ができるきっかけになった金澤翔子だ。ダウン症の翔子は、はじめから天から落っこちてきた生きものみたいだったんだよ。

 翔子はいつも愛に満ちている。いつも温もりにあふれている。彼女は書家である母・泰子と共に書に生きているが、もちろん金の勘定はまったくゼロだ。そもそもそういうことに動く脳は、幸か不幸か持ち合わせていない。
 だから、愛とか美とか、根幹にかかわることに敏感で、後は何も求めていない。
 翔子そのものも、恐ろしいパワーを秘めたその書も、人の目を求めていない。命のままに生きて書いているんだ。その美しさ、その力強さは、私たちに真似できない「本物」だ。

 人の目を求めない小さき花たちは、この伊那谷の山々でも美しい。花も人も同じだよ。

自然と繋がる心でいるとき
大きな生命力を実感する

もちろん、「タオ」と読んでください。



君の命はいつも
君とともにいる

いま生きずして
いつ生きる



ピカピカの玉に
ならずに
ごろた石で
いることだ

これは加島祥造の『タオ―老子』第39章「五郎太石でいればいい」を踏まえているんですね。



いまあるがまゝでいればいい
いちばん好きなことを
するがいい
いま要るものだけ
持つがいい

老子の第1章に「玄之又玄、衆妙之門」とある。玄-計り知れない深淵の更にまた奥の深淵から、もろもろの微妙な働きが出てくる。森羅万象あらゆるものがくぐる門、衆妙の門があるのだ。


「玄ちゃん」のことがあとがきに書いてある。玄もダウン症の27歳の青年。玄は『タオ―ヒア・ナウ』がお気に入りの一冊。仏典・ウルトラマンとこの三冊が玄の布製のバッグにいつも入っている。

 私がMさんに「玄はなぜ『タオーヒア・ナウ』を読み始めたのか?」と問うと、とても興味深い答えがかえってきました。
 「"命"など、この本の中に出てくる言葉は、玄の好きな言葉が多いんです。たぶん深い意味を読むと言うより、言葉の響きから広がるイメージを彼なりに感じ取っているように思います。”タオ”という言葉からタオの世界を直感しているようで、たとえば、”風”、”山”、”夕日”–こうした自然現象に出会ったとき、『母さん、タオ』とよく言います。そして、この老子の言う”やさしい心”は、彼独特の愛を表現する言葉です」

翔子さんと加島祥造が最初に出会ったときのことを、母・泰子さんは次のように書いています。

 二年ほど前、鎌倉で翔子の父親の十年目の祥月命日のお墓参りをすませたあと、まだお会いしたこともない先生の個展に二人で出向いた。
 はたして、そこには先生がいらっしゃった!
 翔子は先生の姿を見ると、何を思ったのか、いきなり「お父さま」と声をあげて先生の懐に飛び込んだ。そして、先生も、翔子をその胸に強く抱いてくださった。
 比類なく翔子に優しかった父の面影と、優しい先生の姿が翔子の胸の中でシンクロしたのだと思う。抱き合っているその姿は神聖で侵しがたかった。

銭勘定や損得に振り回され、あまり役にもたたない会議に忙殺されている私たちよりも、翔子や玄の方が人間らしい生き方をしているのかもしれない。権力の中枢にいても何とか証人喚問を逃れようとする政治家、数億円の相続税を還付された御仁もいた。悪あがきする朝日新聞。年末になっても姿を見せなかった湯浅誠。「国民の生活が第一」がいつのまにか「政権を維持するのが第一」になったこの国。殺伐とした一年でしたが、翔子さんの書で少しは心が洗われた気がします。

がんが治るのか、いつまで生きることができるのかという問題すら、本当はどうでもよい些細なこと、大事なのは”いまここに”ある命を、”人の目なんかは気にせず”、おおらかに楽しむこと、そんな気づきを与えてくれました。

”小さき花”はただ、せいいっぱいに咲く、それだけのこと。いずれは枯れ果てる我が身の心配なんぞしない。それが命の本来のあり方。

小さき花
加島 祥造 金澤 翔子


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