サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

小説『悪医」に読む、終末期の治療の止め時

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悪医 (朝日文庫)

久坂部羊
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私に死ねと言うんですか

現役の医師であり作家でもある久坂部羊氏の『悪医』は、末期がん患者に「もう治療法はありません」と言わなければならない医師の悩む姿と、言われた患者の納得できない苦悩が、医療の現場をよく知った医者の立場で書かれている。

主人公の小仲は52歳。早期の胃がんで手術を受けたが、11ヵ月後に再発し、肝臓への転移も見つかった。いくつもの抗がん剤を使うが腹膜への転移も見つかったので、外科医の森川は「残念ですが、もうこれ以上、治療の余地はありません。余命は3ヵ月くらいでしょう。後は好きなことをして、時間を有意義に使ってください」と告げる。

「私に死ねと言うんですか」と激怒した小仲は診察室を飛び出す。「こんなに元気なのに、もう治療法がないはずがない」と納得できず、偶然新聞で見た「腫瘍内科医」のいる病院へ行く。この医者がとんでもない営利優先の悪徳医で、タキソールをお腹に直接注入する治療法で学会発表を計画していて、小仲はそのデータのための患者であった。必要のない検査も頻繁に行い、挙げ句の果ては生活保護の申請まで薦められる。生活保護の患者なら治療費の取りっぱぐれがないからだ。

知恵遅れの子どもと親子二人だけの母親は「この子を残して絶対に死ねない」と抗がん剤を続ける。しかし、がんはそんなことを斟酌してくれるはずがない。設計事務所を経営する52歳の肝臓癌患者も、肺にも転移しているというのに、治療を止めようとはしない。「死んでもいいから、治療を続けたい」と森川に懇願して飲む抗がん剤を投与してもらい、息も絶え絶えになっても飲み続けている。

小仲は、腫瘍内科医から強制退院させられ、ブログで見た活性化NK細胞療法に期待をかけて1クール行うが効果が出ない。衰弱した小仲はホスピスに入院することになり、死期が迫ったある日、偶然テレビに彼の手術をした外科医の森川が出演しているのを見る。森川は驚くような発言をして・・・。結末は書かないのがルールでしょうから。

さすがは現役のお医者さんだけあって、抗がん剤の副作用に苦しむ主人公の描写は真に迫っている。闘病記のブログを書いている実際のがん患者でも、このようにありありと書くことは難しいだろう。

抗がん剤でがんは治らないが・・・

多くの患者は、抗がん剤ではがんは治らない、延命効果しかないことを知らない。いや、医者からは説明されるはずだが、記憶に残っていない患者が多い。治療すれば治ると思っている。

医者は、治療はやり過ぎると怖いと考えている。ここにギャップがある。治療をしない方が生活の質(QOL)も維持できて長生きできる、と言われて素直に納得する患者の方が少ないのだろう。

がん患者は「万が一の奇跡」であわよくば治るかもしれないと期待する。心のどこかにそうした願いがある。誰もが死ぬのだから、死を受け入れて準備をするべきだ、と言われても、「死の受容」のキューブラー・ロスでさえ、死に直面してわめき散らしたというではないか。

どこまで治療を続けるのか、正しい唯一の答えはない。長尾医師も『抗がん剤 10の「やめどき」~あなたの治療、延命ですか? 縮命ですか? 』で書いているように、結局は患者が何を大切にしたいのか、その人の人生観、価値観にかかっている。

副作用でぼろぼろになって早死したとしても、本人が納得するのなら「有意義な時間の使い方」をしたと言えるのかもしれない。私は願い下げだが。

家族や息子たちが治療を続けて欲しいと言っているから、本人は止めたいのだが仕方なしに続けているという患者もいる。あるいは、そんなことは考えもせず、有名な大病院で治療を受けたからと満足し、諦めている家族もいる。私が知り合った同じ膵臓がん患者でも、主治医から「もう積極的な治療は止めたらどうですか」と言われるまで、ワクチン療法や陽子線治療を探して全国を飛び歩き、臨床試験に何とか参加しようとしていた患者もいた。それも本人が納得していたのなら正しい選択だったのだろう。

上の長尾医師の本のAmazonのカスタマーレビューにこのような投稿があった。

一年前に大腸がんで夫をなくした者です。三年前から不調を訴えていた夫は、定期的に検査に通っていたにもかかわらず、がんと発覚したその日に余命一年と宣告されました。

まだ40代でしたから諦められるはずがありません。幼稚園児の娘もいました。夫も私も、当初はありとあらゆることを試せば、絶対にがんは治せると信じました。抗癌剤治療で、すごくよくなった時期もありました。家族三人で旅行に行けた時期も。

だけど治療が10ヶ月を過ぎたあたりから、何をやってももう、夫を弱らせるだけなのではないか、と感じました。抗癌剤をいつやめるのが夫にとって幸せな道なのか、考えながら言い出せなかった。夫だって、ホントのところは積極的な治療はやめたかったはず。でも主治医は「まだ続けられますよ」と言いました。お願いしますと私は言い続けました。

結果、夫はすさまじい副作用の中、突然旅立ちました。 一年たった今、誰を責めるつもりもありません。私の考えが、足りなかった。この本のタイトル通り、「抗癌剤のやめどき」を、もっと家族で話し合う必要があった。それだけを痛感しています。

本屋さんでたまたまこの本のタイトルが目にとまり、「今さら私が買って何になるんだ」と思いながら、どうしても読まずにはいられなくて、つれて帰ってきてしまった。ベストセラー医師と書いてあったけど、長尾さんという人がどんな人かも、知りません。だけど、こんなことを書く医者もおるんやなってびっくりして、夫の治療を前に右往左往していた自分を思い出して、涙して、心が浄化されました。

やりきれない思いで夫を見送った私が、この本をきっかけにできることはひとつ。抗癌剤のやめどきは、病院に決めてもらうのではなく、家族と本人で決めなければならないということを、今、がんと闘病中の人たちとその奥さん、旦那さんに知らせてあげたい。それには、この本はとても役に立ちます。

後悔しないようながんとの付き合い方をしたいものだ。

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