サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

人生から期待されている

治らないがんになったら、絶望感でいっぱいになる。あれもこれも心配の種ばかりになってします。仕事はどうなるのか、死んだあとの家族の生活は、なりよりも、俺が死ぬとはどういうことなのか。死後の世界は? がんと共に生きる覚悟はできるだろうか。できたとしても、時に襲ってくる無力感に打ち勝てるだろうか。

多くのがん患者ががんと共に生きる覚悟はできているのだろう。でもね、それはまだ普通の「覚悟」でしかない。まだ、あなたは人生から何かを得ようとしている。まだ、こんなはずではなかったというわけだ。

ナチスの強制収容所から奇跡的に生還した『夜と霧』の作者フランクルは、「人生が、あなたに期待しているものがある」はずだと言う。生きているかぎりは、人には役割と使命があるはずです。これまでの人生が、人生に期待するばかりだったとしたら、がんになったこれからの人生は「人生から何が期待されているのか」と問うてみては如何でしょうか。家族や世間や他人から何を期待されているのか。他人の苦労や心配事にも想いを馳せてみるということです。

がんになったあなたは、これからの行動を少なくとも自分で決められる。車を自分で運転しているように、分岐点では右に行くのか左に行くのかを、迷いながらでも自分で決めることができる。しかし、家族、妻、夫は助手席に乗っているようなもので、ハンドルもアクセルもブレーキも操作することができない。おろおろしながら同乗しているのです。そんな家族から、何を期待されているのかを考えてみる。

他者とつながることで、自分の使命を新たに発見できるかもしれません。それは同病者のために自分の経験をブログで発信することもあるでしょうし、いまの政治の現状に対して何かの意見を発信することであっても良い。あるいは、家族と旅行に行くということであっても良いのです。そうすることで、がんであってもあなたの人生において成長することができる。こうしたからといって悩みや苦痛が軽減することはないかもしれません。しかし、死ぬまでに何をすることができるのか、何をすべきなのかを考えるきっかけにはなるでしょう。

治らないがんにとって、抗がん剤は余命を幾ばくかを伸ばすだけですが、伸びた寿命はいわば「ロスタイム」です。「人生は私に何を期待しているのか?」と問うてみるために与えられた時間だと考えてはどうでしょうか。

私には何もすべきことがないという人でも、少なくとも「死ぬという最後の仕事」が残っているのです。

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