一昨日の甲状腺の超音波検査に続いて、今日は胃がんの内視鏡検査いわゆる胃カメラでした。
クリニックはいつもリパクレオンとアヘンチンキをもらっている病院です。ここの先生が内視鏡検査が上手なんですよ。
最もこの先生の先代の大先生の時代からここで内視鏡を受けてるんですけどもね。
雨の日曜日。こんなときには何を聴こうか。私は神も仏も信じていない無信心論者ですが、がんの王様といわれるすい臓がんの魔の手から逃れ得たことにはなにか「大いなるもの」の存在を感じたくなる。私の細胞の一つ一つも、この宇宙の全存在とつながっている。エネルギーのやりとりをしているのである。少しは敬虔な気持ちになっても良かろうというものだ。それならばやはりバッハだろうか。「主よ。人の望みの喜びを」から聴いてみる。「トッカータとフーガ」「幻想曲とフーガ・ト短調」も良いなぁ。ヘンデルの「メサイア」は全曲だと2... 街のヒポクラテス - 残る桜も 散る桜 |
結果は
- 逆流性食道炎が若干ある。
- 胃壁に被弾が多いのは年齢のせいで性老化現象です。しかしピロリ菌がいるかもしれないのでそれの検査をしておきましょう。
- おかしな病変癌らしきものはありません。
とのことでした。
これでしばらくは胃のことは心配しなくても良さそうですが、逆流性食道炎かぁ。
最近胃がむかついたり酸っぱい感じがある。それは確かなんですが、焼酎の飲み過ぎかなとも思ってたんですけどね。焼酎を少し減らすかな。
内視鏡を飲み込む時に先生からは褒められたんですよ。「いやー上手ですね」って。
それにはコツがあるんですね。始まる直前に短い時間で瞑想状態に入っちゃうんです。
こうすることで緊張感が解け、内視鏡に抗おうとする内部の力がスーッと抜けていきます。そうすると喉に変な力も入らないのでスムーズに入ってくれるんですね。
この瞑想状態に入るってのはね、少し練習が必要ですが、難しくはないです。
胃カメラのことを忘れるとか、無視する、気にしない、そういうことではないんです。逆です。
カメラが喉に入ってきた。舌のあたりに触ってる。擦ってる入ってきた。
そういったことを「気づき」見つめるんですね。
どういう感覚なのか。ちょっと痛いのか。としたら痛みはどれほどなのか。ゲップあるいは戻しそうなのか。どの程度の強さなのか。そういったことを「観察」するんですね。観察することによって胃カメラが自分の喉に与える影響が自分のものではない。自分とは独立した存在なんだという風に見ることができるんですね。
ちょっと言葉にしづらいですが、仏教用語で言えば、痛みや喉の違和感は「本性」ではない。自分が勝手に作り上げたものだ、ということになりますかね。
瞑想っていうのは興味深いものです。
来週は大腸がん検診です。こちらも内視鏡。
と、この記事を書いていたら、押川先生からメールのお知らせが来た。タイムリーだなぁ。だけど、この時間、まだ仕事中だわ。