サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

志賀高原・渋峠で百歳まで生きる自信が・・・

_dsc01993連休は初日と2日目が雨で、天気予報では3日目の11日は曇りのち晴れの予報だった。「がんと自己組織化臨界現象(3)」の記事をアップして、あたふたと前日10日の22時に車で出発。行き先は群馬と長野の県境にある志賀高原・渋峠。日本国道最高地点の標識が立ち2172mの標高である。ここから群馬県側を臨む雲海と朝日の展望がすばらしく、有名な撮影ポイントである。一度は行ってみたいと思いながら、チャンスがなかった。

さすがに深夜の道路は空いている。快適に飛ばして草津白根山を目指す。予報では晴れのはずが、草津をすぎて志賀草津道路に入り、登るにつれて雨がぽつりぽつりと降ってきた。そうこうするうちに風も強くなり、道路の落ち葉が、まるで渓流に弄ばれるかのようにダンスを踊りだした。

4時30分、渋峠に着くと霧が出て数メートル先も見えない。気温は6℃。風も強くて雨は横に流れている。それでも先着のカメラマンの車が道路脇と駐車場に50~100台は並んでいた。ご苦労様ですご同輩の皆さん。夜明けを待って天候の回復を期待することにし、機材のチェックをはじめたが「三脚がない!」。車に積むのを忘れたようだ。これじゃ朝日が出ても撮影は無理だ。下痢止めのアヘンチンキと万一のための紙おむつは決して忘れないのだが。一脚で代用するしかない。

7時頃まで待ったが回復しそうにないので、いったん山ノ内町側に降り、散在する湖沼を探索することにした。しかしこのあたりは、標高が低いのでまだ紅葉の盛りには早いようだった。

10時頃、雲間から青空がのぞきはじめたので、再び渋峠へと登る。想像していた以上に、すばらしい景観でした。三脚は忘れたが、SONY α900のボディー内手振れ防止機構は頼りになりました。望遠側でも手持ちで十分にシャープな写真が撮れた。2500万画素の画像は、紅葉の一枚一枚まではっきりととらえてくれる。リサイズして縮小した画像しかアップできないのが残念だ。

帰りの高速は大渋滞が必至だろう。夜中に帰宅する計画にした方が無難かもしれない。だから、これも以前から気になっていた「黒姫童話館」に行ってみることにした。目的は「エンデ・コーナー」だ。『モモ』や『はてしない物語』の作者ミヒャエル・エンデの資料が常時展示されているのは、世界でここだけだという。エンデは、過去に何度かブログで紹介している。[「エンデの島」]とか[エンデと資本論とカムイ伝]など。

館内に入ると「喫茶室 時間どろぼう」の看板が目に入った。今
日一日は時間に追われるようにして撮影したなぁ、とふりかえる。あくせくした自分を反省するにはおあえつらえだ。ガラス窓越しに、いわさきちひろの「黒姫山荘」を眺めながら、おやきとコーヒーをゆっくりと味わった。エンデが集めていたカメの置物のコレクションが陳列されていた。カメは、もちろん時間どろぼうから時間を取り戻そうとするモモを導いたカシオペアであり、『はてしない物語』のカメの長老だ。

ゆっくり帰路についたにもかかわらず、帰りの渋滞はひどかった。軽井沢あたりから45キロの大渋滞に捕まった。帰宅したのは午前零時半、結局ほとんど寝ないで、ゼロ泊3日?の強行軍になった。

しかし、ゼロ泊3日でも意外と元気。疲れてくたくたという気がしない。寝る前にメラトニン20mgを服用したため熟睡できたのだろう。翌朝の目覚めも快適で出社する。メラトニンにはこんな効用もある。我ながら還暦をすぎたがん患者とは思えない。この調子なら百歳まで生きるかもしれない。いやいや、モンブランや富士山に登山したがん患者がいるのだから、たかが渋峠に車で行っただけで威張ってはいけないよなぁ、と考え直した。

バーニー・シーゲルの『奇跡的治癒とはなにか』に、患者には三種類あるとして、こんな記述がある。

 

 

  1. 15~20%の患者は「死を願望している」
    悩みから逃避できる方法として、がんやその他の重病をある意味で歓迎する。
  2. 60~70%の多数派の患者は、オーディションを受ける俳優に似ている。こうしたら医師が満足するだろう、と信じて演技をする。きちんと薬を飲み、約束の時間通り診察にも現われる。医師の指示に口をはさむことなど思ってもみない。信念を持って自力で事に当たろうなどとは考えない。
  3. これと正反対な、15~20%の例外的患者がいる。
    オーディションは受けない。常にありのままの自分をさらけ出す。犠牲者の役はお断わりだ。犠牲者のふりをしていては病気は良くならない。されるがままではダメだという信念を持っている。自ら学んで自分の病気の専門家になる。医師にどのような治療を受けるのかを質問する。なぜなら自分も一緒になって治療に加わりたいからだ。どんなに病気がすすもうと威厳を保ち、断固として人間性と主権を持ち続ける。

あなたが例外的患者になれるか否かが知りたければ、次に読み進め前に自分自身に問いかけなさい。「百歳まで生きたいか?」と。「もしも」、「それでも」、「でも」などと言わずに、即座に心底から「ハイ」と言えたら、あなたはきっと例外的患者になれる。たいていの人は「そうですねえ・・・健康だという保証さえあればね」と言うだろう。しかし例外的患者は、人生にはそんな保証なんかないことを知っている。彼らは、あらゆる危険と挑戦を進んで引き受けるのだ。命あるかぎり自分の運命は自分で切り拓き、自分で幸せを掴んで、他人にも分けてあげることで満足するのだ。彼らには心理学者が言う「内なるコントロールセンター」がある。先のことや外面的できごとにくよくよしない。幸福とは心の問題であることを知っている。

奇跡的治癒は、例外的患者に起きる可能性が高い。たとえ奇跡的治癒に至らなくても、他のタイプの患者よりも長生きする。

どうですか、あなたは百歳まで生きたいですか? 私なら即座に「ハイ」と言える。いや、きっと百歳まで生きるに違いない。今日一日幸せを実感したのだから。

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