サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

こりゃだめだ! e-クリニック

e-クリニック」は阪神・淡路大震災のボランティアを経験した岡本裕医師たちが、「現代医療に欠落している部分を補うため」に「個人個人の抵抗力や治癒力にも配慮した治療法も合わせて行う」相談活動を通じて有益な情報を発信し、「患者さん個々人に応じたきめ細かい治療、いわゆるオーダーメード医療が、どこの病院ででも広く一般化されることを目指して」活動しているNPO法人です。その設立の契機や、三大療法を否定しない考え方も納得できるものでしたし、会費も良心的な範囲でしたから、このNPOの活動を肯定的にとらえていました。

11月2日に『免疫を高めるとガンは自然に治る』というムック本を、あの安保徹医師との共著(監修です)で出版しました。タイトルからして安保徹氏のさまざまな著作と区別がつかない代物ですから、内容は推して知るべきでしょう。ごく一部を紹介すると、

なんとも恐るべき安保流の三段論法で、これが本当ならがんは怖くないですね。安保氏の本をしばらく読んでいない間に、少しは主張が変化しているようです。抗がん剤は止めておけ→抗がん剤は延期すればよい、と変化しています。

安保氏の阿呆論理はこれくらいにして、岡本裕医師に関してもこれまでにもいくつか懸念する材料はありました。

『9割の医者はがんを誤解している』では、「気の正体は量子・光子のようなもので、結合組織に含まれるコラーゲンが半導体のような役割をして気の通り道になる」との説があるとして、「今となっては、『気』の存在を疑う科学者はほとんどいないと思いますが・・・」という記述がありました。「気」は存在すると主張する人たちの間でも「気」とは何か、その定義すらまちまちなものを、まともな科学者が存在を認めるはずがありません。何か分からないものをどうやって存在していると言えるのでしょう。「神」や「幽霊」が存在していると主張するのと同レベルの話です。岡本医師はいったいどういう科学的常識の持ち主なのかといぶかったものです。また、安保理論の仲間である福田医師の「爪もみ」も治療法として推奨していました。

これまでに出した本は飛鳥新社からでした。『サルでも分かる日本核武装論』などおっかない本をたくさん出している出版社でしたが、まともなものも少しは出している出版社です。今回はサンマーク出版と並ぶトンデモ本の老舗の「マキノ出版」が版元です。これだけでも怪しでげです。トンデモ医療のガストン・ネサンのソマチット療法を日本で広めようと活動している「ガストン・ネサーン・アカデミー」にも講演者として岡本裕医師の名前があります。ソマチット学説を信用している、もしくは信用はしていなくても好意的に見ているわけです。

こんなことがあるので、少々いぶかしく感じていました。最近では、ご自身のガンが治ったといいうただその事実だけで星野式ゲルソン療法を提唱している星野仁彦医師や、"がんが治るレシピ"を書き散らしている済陽高穂医師らとの交流も盛んです。「三大療法は時間稼ぎであり、その間にベース治療によってがんに抵抗できる免疫力をつくりましょう」という岡本医師と、「三大療法はムダであり、免疫力を高めればガンは治るんだ」と単細胞思考で本を手当たり次第に出している安保徹氏、野菜果物のゲルソン療法で治るんだという済陽氏。今回のムック本にも巻末にがんに克つ食事のレシピ集が付いています。

岡本裕先生も、ついに安保徹・新谷弘実・石原結實・西原克成らの「トンデモ医者」の仲間入りでしょうか? 取りあえず何でもやってみればよい、がんと闘う武器は多いほどよい、と言うのでは帯津良一氏と変わらないじゃないですか。


柳原和子『百万回の永訣-がん再発日記』から、次の言葉を安保氏らに捧げましょう。

そして、いつのまにか、わたしは別の意味でのプロの患者に堕しかかっていた。
がんを書くことで食べる人になりかかっていた。
同じことをくりかえし書いて世に送り出しているさもしさ、恥ずかしさ。
「再発でもしないかぎり、書きたいと思うこともなくなったなぁ」

同じことをあちらこちらに書き散らかすことは「さもしい」こと。わずかの原稿料と印税の収入で、それもほとんどた治療費に消えてしまう状態。そんな柳原さんでも「同じことを書くのがさもしい」と感じている。


ついでに「気」について。

東京電機大学教授の町好雄が『「気」は脳の科学』を書いています。出版元は東京電機大学出版局ですから、肩書きも出版元も信用できそうな本です。「気」の存在を疑う科学者はほとんどいないという、岡本裕医師の認識は、これらの本からきているのかもしれません。しかしこの本、冒頭に気功師が「気」を出しているときに赤外線放射温度計(サーモグラフィー)で気功師の手を測定したら、手の温度が2~3度上昇していた。従って「気が存在することが証明された」というとんでもない飛躍した論理で始まります。「皮下の血管を流れる血流量が増えれば体表面温度は上がります。気功師の手の温度が上がったということは血流量が増加したということです。」「ところが血液の循環は自律神経によって制御されているので、(ここまでは正しい)普通の人は自分の意志で血管を拡張させたり、収縮させたりして血流量を変化させることはできないはずです。」(これが間違い)

私にだって自律訓練法の手順に従って少しの訓練をすれば、手の温度は上げられます。特別な能力は必要ありません。それに皮膚の温度が上がったからといって、「気」の存在が証明されたことにはならない。他の因果関係をつぶしていって、「気」の存在を仮定しないかぎりこの現象は説明できない、というときに始めて"「気」が存在するかもしれない"と言えるのです。工学博士でありながら実験計画法すらマスターしていないようです。この程度の工学博士ですから、「ユリ・ゲラーが透視をしたとき、右脳のβ領域にパルス上の信号が出ていた」と書いてあっても驚きません。最後まで読むには時間が勿体ないので閉じました。

このような「工学博士」が「気」の存在を証明したといっているからと言って、”「気」の存在を疑っている科学者はいない”ことにはなりません。

「大学教授」や「医学博士」の肩書きは、少なくとも「馬鹿ではないことの証」にはなるだろうと思っていましたが、現実には何の証明にもならないどころか、世間一般的な知性もない輩がうようよといるのですね。

モバイルバージョンを終了