サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

看取り先生(岡部健)の遺言


看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために』を読みました。感動的でした。

看取り先生こと、岡部健医師は医療グループ「爽秋会」岡部医院の院長。宮城県名取市を中心に在宅ホスピスに取り組んで、年間300人の看取りをされてきたのですが、ご自身もステージⅣの胃癌と診断され、余命10ヶ月を宣告されます。それからの岡部先生の治療と死への確固とした信念のもとでの対応が感動的です。

岡部先生の最期の9ヶ月間、170時間に及ぶインタビューを、ジャーナリストの奥野修司氏が書き綴ったものです。

ヨミドクターにも2012年6月のインタビューが載せられています)

肺がん手術の専門医でありながら、ご自身はヘビースモーカーであり、がんになるとしたら肺がんだろうと思っていたのが、予想に反して胃癌がみつかります。しかしそれでも岡部先生はがん検診は一切受けようとしません。

肺がんは早期検診で分かっても、25%は助かるが、75%は助からない。つまり、検査しても4分の3は何もできずに亡くなっていくということだ。メイヨー・クリニックが胸部レントゲン写真と喀痰細胞診をするグループと何もしないグループを比較したら、有意差がなかったという研究もある。胃癌は精度が悪いから役にたたない。透視で早期胃癌が分かるなんて、誰も思っていないはずだ。胃カメラも腕の良い医者がやるのなら良いが、そうでなければ見落としや穿孔などのリスクがある。なんのためにやるのか分からない。

検査というのは未来を知る技術の一つなんだということを、あまりにも安易に考えてはいないだろうか。未来を知るということは、決していい未来を知るだけではない。知りたくもない未来を知ることなのである。

このような理由で、検査は一切受けないで過ごしてきたのです。

在宅医療の現場で先駆的な仕事をされた先生だからこそ、自分が治らないがんだと知ったときの毅然とした対処のしかた、生き方には、がん患者としてたくさん学ぶべきことがあります。

長寿信仰が苦しみを生む:人間は長寿であることが勝ちだ。長生きすることはトクだという欲張り文化はいつ生まれたのだろう、と長寿信仰を批判しています。

と言います。

「その世界に降りてゆくのに、なんの道しるべもないんだ」ということに気付き、「臨床宗教師」の制度を作ることの奔走するのだが、ご自身の死に際では、岡部先生の考えに共感した曹洞宗の若いお坊さんが寄り添うことができた。

もっとたくさん紹介したい部分がありますが、治らないがんに対する最期の治療の戦略や考え方、抗がん剤の止め時、人が死ぬとはどういう状態になるのか、在宅医療でも充分看取ることが可能なのだということを、ご自分の命を賭けて証明してくれています。。

「死」は決して苦しいものでも、怖いものでもないことを納得できるように知らせようとしているようです。

モバイルバージョンを終了