サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

どーもの休日

膵臓がんで、生まれた歳も同じ1948年の近藤彰さんは、ブログ「どーもの休日」を書かれていた方。最後のブログにはこう書かれていた。

すい臓がんの末期患者になってから始めたこのブログもいよいよ最終回である。
本音を言えば、せめて70歳までは、せめて子供が結婚するまでは生きていたかった。その意味では誠に残念・無念である。
しかし運命には逆らえない。あの世にもいろいろ事情があるのだろう。そう思って少しは明るい気分で逝くことにしたい。
(中略)
末期がん患者になって心配したのはウツになり人生の晩年を暗い気持ちで送ることであった。振り返ってみると幸いなことに極端なウツ症状はなく比較的穏やかな精神で生活が送れたのではないか。そう思っている。(中略)
立派に生きていくのは難しいものだが、立派に死ぬのもなかなか難しいもの。
若い頃から無常観について惹かれて関心があったのも少しは悟りに役立ったかもしれない。(中略)
本当にありがとうございました。皆様のご多幸を祈念しております。さようなら。

どーもの休日―元NHK記者と家族の“末期がん闘病記”

近藤 彰
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末期の膵臓がんと奮闘されたが、2013年11月2日に残念ながら亡くなられている。当時近藤さんのブログをはらはらしながら読んでいた。がん研の漢方サポート科も受診されていたようだから、もしかしたら病院内ですれ違っていたかもしれない。

出版された闘病記を読んでいたら、高校野球のことが書かれてあり、どうやら高校時代は高知県立室戸高校を卒業されたらしい。私はその隣の安芸高校である。ともに甲子園には過去一度だけの出場という、高校野球のさかんな高知県では、いつも悔しい思いをした高校である。これもまた偶然か? 近藤さんにさらに親近感がわいてくる。

苦労された方のようで、新聞奨学金制度を利用して東京の大学へ、というのも私と似通っている。まさにペギー葉山の「南国土佐を後にして」である。大学紛争に翻弄され、なんとかくぐり抜けてきた世代であった。アルバイトと大学紛争で、ろくに授業には出ていない。

NHKの記者として、赴任先の名古屋では愛知県の管理教育や土壌汚染など社会問題を厳しく追及した彼らしく、死を前にしながらも今の政治、戦争への危機、解釈改憲にするどい批判の文を書かれていた。現在の籾井会長の、時の権力におもねるような姿勢と尊大な態度を見たらどう思っただろうか。

生前にもっとコメントをしておけば良かったと悔やまれる。いずれはあの世で、カラオケ好きの近藤さんとデュエットで「南国土佐を後にして」でも歌おうか。

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