サイトアイコン 残る桜も 散る桜ー膵臓がん完治の記録

土屋医師の本音

明日は三春の滝桜を観に行く予定だが、大雪。開花も遅れている様子。どうなることやら。


前国立がんセンター病院長の土屋了介医師が書いた本。

がん治療を受ける前に知っておきたい55のこと
土屋 了介 奥仲 哲弥

国立がんセンター(現在は国立がん研究センター)で2008年に大量の麻酔医が辞職して手術を減らさざるをえなくなったことは記憶に新しい。当時の病院長土屋了介医師はご自身のブログで次のように書いている。

 私はこの3月一杯で辞表を出すつもりです。私が退任を決めたのは、新理事長に嘉山孝正先生が決まったときでした。嘉山先生は私よりも年下ですし、彼がやりにくくて困るだろうと考えたのです。

 いずれにせよ、税金を投入する国民が納得できることを、嘉山先生の決断の下で行うべきです。あと、この病院に足を踏み入れたこともない役人が口を挟むのを許すような真似だけは、絶対にしないでほしいと思います。
自己評価は65点、大掃除が終わっていない
 国立がんセンター中央病院院長として、これまで行ってきたことに対する自己評価は65点です。例えば、世間を騒がせた麻酔科医不足の問題については、人数を集めることはできました。ですが、来ていただいた麻酔科の先生方に気持ち良く働いていただく体制は、まだまだできていません。
 以前おられた麻酔科の先生方が、緩和ケアを行うためにがんセンターを去られたのは間違いありません。ですが「麻酔をかけている際の外科医の態度が悪い」ともはっきりと伺いました。「麻酔科医を手足のようにこき使う外科医が多すぎる」というのです。雰囲気のいい職場ならば、もう少しは残っていただけたのではないでしょうか。
 少なくとも私が現場にいたときは、そのような外科医はいませんでした。もっと現場で指導すべきだったと後悔しています。この点については、嘉山新理事長に引き継ぐ前に“大掃除”をし、刺し違えてでも、辞めてもらうべき人には辞めてもらおうと思っています。
 また、今の副院長、小菅智男先生には感謝しています。魑魅魍魎が集まる世界で、年上の部長にいじめられながらよく耐えてくれました。彼がいてくれたおかげで、私は対外的な働きかけに時間を割くことができましたし、それでがんセンターが独立行政法人化する際の債務負担を減らすこともできました。
 先ほどの話の続きになりますが、小菅先生をいじめていた部長たちを整理してから辞めないと、私は腹の虫がおさまりません。医師同士でも信頼がなければ、的確な医療はできません。「ヒポクラテスの誓い」さえ守れない医師がいるのは非常に不愉快です。そんな医師を排除できなかったのが、私の反省点です。

相当怒ってますね。真相をうかがい知ることはできないが、部長というのは山下直人という方だと言う。「魑魅魍魎」が棲んでいるがんセンターとは、外から見ている患者には驚きだ。

その土屋医師と山王病院の奥仲哲弥医師の共著です。

ガイドラインは、医者と患者さんが、治療方針を考えていくひとつの指針、ツールと考えるとわかりやすい」「ただし、何でもかんでも科学手界根拠に走りすぎるのは考え物です。例えば、少し痴呆がはじまったお年を召した患者さんなら、(放射線を)照射することで痴呆が進行してしまうかもしれないことを心配するべきでしょう。推奨グレードAであっても、それをおこなわないようにするのも医者の裁量です。

ガイドラインの採用されたグレードAが標準治療ではあるが、何でもガイドライン通りにやればいいというものではないし、医者の匙加減が当然あるべきだということ。マクドナルドで10人分を買うのに、レジのアルバイトはいつも決まって「店内で召し上がりますか? お持ち帰りですか?」とマニュアル通りに訊くが、こんな量をひとりで食べられるのか分かりそうなものだ。がん治療だって、患者の状態も斟酌せずにマニュアル(標準治療)のそのまま治療されたら、治る患者も治らなくなってしまうだろう。

「ASCOの功罪。がん難民にならないためには自分自身の”死生観”を確立しておくことが大事。根治が見込めない状態になったとしても、単に社会的弱者の仲間入りをしただけ。がん患者への友人・知人の見舞いは避けるべきであり、特に会社の上司・同僚は、見舞いは遠慮してください。仕事に復帰できるかどうかの見定めに来た会社からの偵察隊にしか見えないものです。」などはうんうんと納得できる。私の場合も見舞いは「来てくれて嬉しい、帰ってくれて嬉しい」というのが本音でしたね。せっかく来てくれた方には悪いけど。来て欲しい方にはこちらから連絡して来てもらったが、「行かなければ悪いのでは?」と考える方が多い。「病気見舞いに行かなければ礼を欠く」というのは、少なくともがん患者には当てはまらないと気づいて欲しいものだ。土屋医師自身も大腸がんになっており、そのときの心境も書いている。

がんの医者でも同じ人間。がんは怖く、もちろん、死ぬのは怖いのです。「受診して、本当にがんだったらどうしよう」とか、「がんかもしれないが、がんでない可能性だってある」などと、あれこれ悩み、それから数日間は眠れない夜を過ごしました。

正直だね。やはり、がんセンターの病院長でもがんは怖いし、死ぬのはもっと怖いのだ。でも私の場合は夜眠れないという経験を一度もしていない。自慢するわけではない。自分でもどうして平静でいられてのかよく分からないのだ。告知を受けても予想したとおりだったから動揺もないし、予定通りチェロのレッスンにいって仕事も普段通りにこなしてきた。ご飯も美味しいし、夜もぐっすりと眠れた。新聞社のインタビューを受けたときも「どうしてですか」と訊かれたが、自分でもうまく説明できない。あれこれとそれらしい理由を並べてはみたが、それに自分が納得しているわけでもない。ま、再発してみればこんな自信はどこかに吹っ飛んでしまうだろうから、あまり触れない方が恥をかかなくてすむだろう。

膵臓がんに関する記述が何カ所かあって、

5年相対生存率は、乳がんと子宮がんが70%以上、胃、大腸が約60~70%、肝臓と肺は25%前後、膵臓がんと総胆管がんは数%です。

多くのがんは、小さな段階では転移しません。直径1センチ前後までは転移していないことが多いのです。例外は膵臓がん。膵臓がんは1センチの段階では多くの場合転移が起きています

5年相対生存率は5年生存率よりも大きくなる。それでも数%だから、膵臓がんか生還が如何に困難か分かろうというものだ。

私のがんは23×20×2mm。当然転移しているものと考えている。まだCTやPETでは検出できる大きさにまでなっていないというだけだ。転移しているはずのがん細胞を押さえるために術後補助化学療法としてのジェムザールはやったのだから、それ以外に自分にできることは「自己免疫力を高めること」だけだ。そういう考えてこれまで対処してきた。今のところうまくいっているが、それがいつまでも続くという甘い期待はしていない。いつでも再発するのだ。気持ちはそれに備えている。

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