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今日の一冊(67)『副作用のない抗がん剤の誕生』

がん治療革命 「副作用のない抗がん剤」の誕生

修司, 奥野
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タイトルからトンデモ本ではないかと、スルーしていたが、機会があったので読んでみた。著者の奥野修司氏は『看取り先生の遺言』を上梓しており、ブログでも紹介したことがある。「看取り先生(岡部健)の遺言

取材のスタンスにも好印象を持った記憶がある。今回も著者自身が

とりあえず私は約二年間、眉に唾をしながら、本書に登場する山岡壮意医師の病院で、P-THPの投与を受けた患者を観察しつづけた。こちらとしては半信半疑だから、少しでも問題があったら取材を止めるつもりだった。

と書いているように、取材態度は真っ当である。しかし、そんなにすごい抗がん剤ならどこの製薬会社も飛びつくはずではないか。本書を読めばそれらの疑問に納得が(たぶん)いくだろう。

副作用のない抗がん剤「P-THP」(Pはポリマー、THPは抗がん剤の「ピラルビシン」)の開発者は前田浩教授(熊本大学名誉教授・崇城大学DDS研究所特任教授)である。2011年には優れた研究者に与えられる「吉田富三賞」を受賞し、2015年のノーベル賞候補と目された人物だ。

前田は腫瘍だけに薬剤を届ける「DDS(ドラッグ・デリバリー・システム)」の提唱者である。

DDSについては、いくつかの開発が報じられている。

「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」と、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが話題になった、東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦氏も、

前田のP-THPの特徴は、EPR効果を応用したところにある。

腫瘍周囲の新生血管は不完全であり,血管内皮細胞の間に隙間が存在する.そのため,正常の血管は透過しない数百nmの高分子薬剤が,腫瘍では血管壁を抜けて組織中へと透過する(enhanced permeability).また,腫瘍ではリンパ組織も成熟していないため,組織中の異物を排除することができず,結果として,血中から漏れだした高分子薬剤は腫瘍組織中に貯留する(enhanced retention).このような,高分子薬剤が腫瘍へ集積する特性をEPR(enhanced permeability and retention)効果という.


高分子ポリマー(実験では車のワックス)に抗がん剤をくっつけて腫瘍にまで届くようにしたのだから、ナノカプセルなどの先進技術を使ったわけではない。まさに発想の転換である。

なぜP-THPが承認されないのか。それは製薬企業が利益にならないからと臨床試験に手を挙げないからだ。P-THPの前身である肝臓がんの高分子治療薬「スマンクス」はクラレとの提携で2004年に世に出た。しかし、多くの患者に効果があったのに、2013年に販売中止となる。第一の理由は「儲からないから」。薬価が1mgで12000円で、1週間の治療費60万円の2%、しかも1~3ヶ月に1回投与で良いのだから、製薬会社は利益にならないと撤退したのです。

新薬を開発し、臨床試験を行って市場に出すためには、10~20年の時間と莫大なお金が必要です。米国の例として、

必要だとされています。製薬企業の援助でもない限り不可能です。大学の研究室や弱小製薬企業では「エビデンスのある」薬を世に出すことは、端からはじき出されています。

つらつらと書いていると尽きないが、この本はまた、前田へのインタビューという形式で、がんと人類の闘いの歴史、抗がん剤開発の歴史、がんとは何かという問いへの解説にもなっています。

私のとしてこちらの方が興味深かった。

それは、前田が「がんは複雑系」という観点で研究していることです。

がんは複雑系

がん遺伝子の発見者であるワインバーグ博士は、学術誌「Cell」のエッセイにこう書いている。

分子生物学的手法こそが、がん研究に新たな光をもたらすのではないかと考えていた。(中略)解析不能と考えられたこのカオス的世界の現象に対して、我々分子生物学者は、がん細胞を最小単位の分子にまで腑分けすれば、要素還元論によって、がん発生のメカニズムを普遍性のある知識として、理解できるだろうと考えたのである。(中略)

ところがそうならなかった。

ヒトのがんの発生に関係するおびただしいがん原遺伝子とがん抑制遺伝子の発見が相次いだ。これらによって、やはりがんの発生メカニズムは単純ではないと再認識されるようになった。また、がんの種類によって、がん化の原因遺伝子はまったく異なっていることも明らかになってきた。がんはあまりにも複雑すぎて、分子生物学や遺伝学で理解することは困難だ。

と匙を投げている。まさしくがんは、カオスの世界なのだ。

がんは超複雑系の世界で、単純に考えるのは無理です。現在分かっているがん遺伝子は約200種類、がん抑制遺伝子で約30種類ある。しかも同じ癌腫でも個々の細胞によって遺伝子の変異している部分が違う。患者によっても違うし、患者の腫瘍の中でも違う。これでは「魔法の弾丸」を作っても効果を上げることは難しい。

複雑系については、あちらこちらで書いています。

これまでに何度か複雑系について書いてきました。門外漢の私が、しかもがん患者がどうして複雑系という数理科学に関心を持つようになったのか。ひと言で言えば「がんは複雑系だから」ということにつきます。がんが複雑系だという理解を持てば、いろいろなことがすっきりとするはずです。例えば「余命があてにならないのはなぜか?」「代替療法では本当に治らないのか?」「同じがん患者なのに長く生存している患者もいるのは?」「奇跡的治癒例はあり得るのか?」「近藤誠氏のがんもどき理論は正しいのか?」こうしたことに対する答え...
がんと自己組織化臨界現象 (1) - 残る桜も 散る桜
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がんと自己組織化臨界現象 (4) - 残る桜も 散る桜

 

前田はP-THPの発展型として「ナノ光線療法」の研究もしている。さらにがんにならないため(がんを治療ではない)の食事も探究している。

非常にユニークな研究であり、おもしろいが、ヒトの臨床に使えるようにはならないだろう。第一相の安全性確認試験だけでも長い時間と多くのお金が要る。

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