35年目の別れ

35年間つきあった相手と別れました。妻と同じくらい長い付き合いでした。と、脅かすような書き出しですが、タンノイのスピーカを処分したのです。

タンノイのスピーカー Berkeley。買った当時は私もまだ20代の青年でした。私のクラシック音楽生活を、いつもどっしりと支えてくれた存在でした。当時、これもクラシック好きの同級生にピアノ協奏曲を聴かせたら、「こんな生のピアノらしい音のするステレオは聴いたことがない」と呆れていたものです。

買った当時は、昭和46年のスミソニアン協定で一ドル308円に切り下げられてあと、昭和53年の1ドル200円を切るまでの間ですから、250円くらいの相場だったのでしょう。なにしろ2台のスピーカーで50万円という価格でした。当時私のような青二才の月給は10万円に満たなかったはずです。もちろん私なんぞに買える金額ではない。事情があって弟が所有していたものを譲ってもらったという次第でした。

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良くも悪くも人生を共に歩んできたスピーカーです。愛着があります。さすがにエッジが破れて低音がぼこぼこと言い出し、ここ10年くらいは音出しをしたことがありませんでした。それでも捨てるに忍びなくいつかは修理をして、と考えていました。さすがは大英帝国。日本製とは違います。今でも修理ができるのです。2台のエッジ交換費用は4~5万円くらいだと電話で確認しました。しかし部屋も狭いし、このスピーカーの性能を十分に出し切ろうとしたら300ワットのアンプが必要です。(アンプはまだ現役で動作しているが)それと、処分しないとこれ以上本を購入しても置くスペースがないというジレンマに陥ったことです。

Yahooのオークションにジャンク品扱いで出品したら、40人くらいの方が入札に参加してくれました。おかげで結構な価格で落札されました。まだまだこのスピーカーの人気は衰えていないのですね。びっくりしました。

日本とヨーロッパの文化の違いを考えさせられます。中野孝次が「古都再訪」というエッセイで書いていることですが、第二次大戦の空襲で街全体が大きな被害を受けたドイツの都市、ニュルンベルクやドレスデン、中世の面影を残した田舎町のローテンブルクでさえも、古都保存条例にしたがって破壊される"前と同じ町並み"を再現させたのです。その再現方法は徹底していて、焼け残った建物と新しく再現した建物の区別がつかないほどであったと書いています。日本人なら新しい都市計画を作り、広い道路を通して全部四角いビルに建て替えてしまうところでしょう。実際に京都の町の破壊されようをみると、唖然とします。歴史のある京都の町だからということでアメリカ軍でさえ空襲の対象から外したにもかかわらず、戦後になって日本人自らの手で破壊しているのを見ることになろうとは。あの京都駅の街にそぐわない異様も不気味です。

古くても良いものはよい。長く使って壊れたら修理して孫子の代まで使う。スピーカーだけではなく、人生とは、生活するとはどういうことなのかという根本的な問題ですよね。大量生産・大量消費が日本の高度経済成長を支えたのでしょうが、その結果がこんな日本にしてしまった。100円ショップの品物で部屋をいっぱいにして満足している日本人。いや、労働者でさえ使い捨ての派遣労働。本当に、何が大事で、何が大事でないのか。「ブレニンは、人生でもっとも重要なものは、計算ずくでできるものではないことを。真に価値のあるものは、量で測ったり、取引できないことを教えてくれる。」根底から考え方を転換しないかぎり、日本の再生は有り得ません。坂本竜馬が見たら「こんな国にするつもりじゃ、なかったがやきに」と言うんだろうね。きっと。


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