2019年12月
『モモ』で考える、時間と死
ミヒャエル・エンデの『モモ』は、灰色の男たち=時間どろぼうを登場させることによって、時間の節約=効率主義が、人々から人生のゆとりと生き甲斐を奪うということを、ファンタジーの形式で語っている。「生きる時間」と「時計で計られる時間」は別物である。
「余命3ヶ月」は「時計で計られる時間」であり、生きる時間を生き生きと生きるだけが大事なのであり、そのように生きたとき、時計で計られた「余命」には意味がない。『モモ』に登場するマイスター・ホラ(horaはラテン語で「時間」のこと)の言葉を借りれば、「人間には時間を感じとるために心というものがある。その心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じだ」。「生きる時間」は物理的時間の制約を超えることができるのである。