樹木希林の”全身がん”宣言

樹木希林さんの「全身がん宣言」が週刊誌の話題になっていますね。3月8日に行われた『第36回 日本アカデミー賞』授賞式で、最優秀主演女優賞の樹木希林さん(70)が壇上で「私、冗談でなく、全身がんなので来年の仕事はお約束できないんですよ、本当に」 とさらりと告白した。

芸能週刊誌、女性週刊誌あたりがビッグニュースとして取り上げているのだが、私は彼女の勇気ある決断を賞賛したい。インタビューで「がんは治らない。治ったように見えるだけ」という彼女の言葉に、このコーナーを担当していたアナウンサーが困惑し「がんは治る病気です」と強調していた。早期発見・早期治療をすれば半分のがんは治る時代になったといわれている。しかし、樹木希林のように再発して全身に転移したがんは”治ることはない”。「治ったように見えるだけ」という彼女の言葉が正しい。もちろん例外もある。がんには常に例外がある。何もしなくても転移したがんが消えてしまうことも、ある確率で存在する。この自然治癒については、昨日のアピタル『《15》症例報告の光と影』で大野智氏もチョコッと触れている。

樹木は04年に乳がんを患い、翌年には右乳房を全摘手術。08年頃には、腸や副腎、脊髄にがんが転移し、鹿児島のUASオンコロジーセンターの植松医師の病院で、13個所を放射線照射で治療したという。しかし、現在もお酒を飲み続けており、抗がん剤治療はしていないことを告白している。

乳がんで進展の遅いタイプなのかもしれないが、抗がん剤治療をしていれば、最優秀主演女優賞を受賞するような活動はできなかっただろう。2006年の朝日新聞シンポジウムでの鎌田實氏との対談で、同じ乳がんに罹った後輩の例を挙げて話している。

 私は、これだけは申し上げたい。私の後輩で35歳になる女の人が去年結婚したんですけど、結婚してすぐに乳がんが見つかりました。それも5ミリとか3ミリとかっていうがん。私なんか2センチ、3センチの乳がんになっていて最終的に手術したんですけど。
 そうしましたらば、そこは医者の家系なんですよね、周りが全部、医者。それで大変だって、あの医者、この医者、全部がっちりガードして、温存手術で切ったんですけれども、こういうふうにリンパのこっちのほうまでとったらしくって、形はあるんですけれども、その後に抗がん剤、放射線、いろんなことをして、今や片手が上がらなくなっているわけです。
 周りにあんまりいい医者がずらっと並んでいるっていうのもね、考えもんだなと思いましたね。(笑)要するに、すごくやってくれちゃうわけですよ。私みたいにあんまりほっぽりっ放しも例がないんですけれども、その後輩みたいに、至れり尽くせりで、その結果、今立っていることも座っていることもできない、苦しいっていうような、こういうがんの術後っていうのもあるんだなって考えますと……。

こうした体験があったから、手術や放射線の治療は受けたが、治らないがんへの抗がん剤治療はしない、という選択をしたのだろうと思う。わずかな延命効果(それすらもあるかどうかわからないが)よりも生活の質(QOL)と仕事を選んだ。美味しいものをたっぷり食べることを選んだのだ。

死ぬ前日まで抗がん剤治療する患者もいる。本人は抗がん剤治療はしたくないのだが、家族が反対するから仕方なくやっているという患者もいる。どちらが正しいというものでもない。その人の価値観、人生観に従って対処し、生きれば良い。ただ、医者に「良かったですね。腫瘍が縮小しました」と言われて、抗がん剤で治るものだと勘違いし、「治るかもしれない」と、いつまでも抗がん剤を投与し続けるのは、よく考えた方が良い。

とは言っても、治療をしないという選択は、よほどの覚悟が必要に違いない。それでも徐々にそうした選択をする患者が増えている。

スマトラ沖地震で津波の被害に遭ったホテルに宿泊の予約をしていたが、富士フイルムのCM「お正月を写そう」の収録があったのでキャンセルしたそうだ。行けば孫と浜辺で遊んでいて津波に襲われた可能性が高かっただろうと言っている。

 このホテルはちょっと高いところに建っていたので多少の被害で済んだそうです。しかし、私のことですから、元を取ろうと思って、孫連れて朝10時ぐらいから浜辺に出ていたはずです。(笑)もしそうなった時というよりも、行っていることは確実ですから、地獄を見て、自分も見て、子どもにも見せて、自宅にいる父親に顔を向けられないようなことになっていた可能性がすごく大きかったわけですよ。
 その時に「あ、人間ってこういうふうに病院でいろいろ手当てしてもらって、やっとこさ何とか生きていたら、パカッと首切られるみたいに死ぬっていうことも片方であったんだな」って思ったら、何のことはない、ものすごい覚悟が決まっちゃったんですね。ありがたかったですね。これがあったということは私にとって、非常に重大なことでした。そんなふうにして乗り越えました。

これなんかは、すでに”悟り”ですね。鴨長明や吉田兼好がテーマにしたように、死はいつも身近にある。東日本大震災後に『方丈記』がよく読まれているのは、日常から「死」を遠ざけてきた日本人が、この地震大国では「死」はいつも身近ににあるのだと気付いたからだ。がん患者が「死」を考えざるを得ないことを、本来の日本人の有り様に近づいたのだと考えてみてはどうだろうか。「死」を見つめて受入れることで、今日のただいまの1日をよりよく生きることができるなら、がんもまた「恵み」に違いない。「メメント・モリ」なのだ。

朝日新聞シンポジウム「がんに負けない、あきらめないコツ」
鎌田氏、樹木氏の対談(1)


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