「呪いの言葉」と「善意の謀略」
前沖縄県知事の翁長さんが膵臓がんで亡くなったとき、マスコミや週刊誌に登場した識者や医師などから「手術が死期を早めた。放射線なら助かった」と憶測による無責任は発言がありました。
ま、〇藤〇先生だと推測はできますが、これを見た膵臓がん患者は「手術では助からないのか」と、標準治療から遠ざけることにもなりかねません。
これを「呪いの言葉」と批判しているのは、川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科医の西智弘医師です。
「呪いの言葉」は患者さんを標準治療から遠ざけるだけではなく、同じがんで亡くなられたご遺族の悲しみから回復する過程を妨げることにもなりかねません。
ご遺族は「別の治療法ならもっと長く生きられてのではないか。家族としてもっとしてあげられることがあったのではないか」と自分を責めがちです。
これはなにも医療者に限ったことでなく、がん経験者や友人、遠くの親戚が
- もっと良い治療法があったのに。
- 〇〇さんはこれで末期がんから生還したんだよ。
- だから標準治療だけじゃダメって言ったでしょ。
- 〇〇療法をやればよかったのよ
などと言われることも、ご遺族を傷つけます。
西智弘医師は、一般の人からのこうした言葉を「善意の呪い」と言っていますが、このブログでは以前に「善意の謀略」と書いたことがあります。
免疫学者の多田富雄さんの自宅に押しかけて、免疫の効用を蕩蕩とまくし立てる強者、これが効くと現物を送り届けるなどのことを「善意の謀略」と述べたのでした。
相手は善意でやっていると思っているから、よけいに始末が悪いです。親戚や友人からなら、無下にもしづらいです。しかし、その「善意」が、患者さんから時間を奪い、お金を奪い、そして日常を奪っていきます。
自分には効果があったから(実際にはたった一人のデータでは証明できないのだが)と、高額な代替療法を「試しにやってみたら?ダメ元で・・・」などと、不謹慎なことを言う見舞客もあるそうです。
西医師は、こうした善意を、
「患者さんや家族のために良いことをしたい」と口では言っていても、多くの場合は「私が彼らにしてあげたいことをしたい」と、主語が入れ替わってしまっている。
と、結局は自分の自己満足で、自分が救われたいからだと書いています。対策として、
患者さんや家族は、その「呪い」に耳を貸さないこと。当事者ではない医療者や知人は、自分が「善意という呪い」を発していないか自覚すること。
とまとめています。
呪いをかけずにできるは、寄り添ってその人の話をよく聞くことです。
あなたも私も、気付かずに「呪いの言葉」をかけたり、「善意の謀略」をしているかもしれません。
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こんばんは〜。記事にしてくださってありがとうございます。キノシタ様のコメント返信欄に書いてあったのを友達が教えてくれて読みました。
遺族にとっても更に奈落の底へ突き落とす呪いの言葉。
私は標準治療から緩和ケアへと納得していたつもりですが、あるブログ記事でダメ出しされたようで更に深く傷つき苦しみました。
文字の世界でも善意が呪いの言葉になりうる。
善意が呪いの言葉にならないよう私も気をつけたいと思います。
かゆはりさん。
サプリメント程度で後は標準治療だけの方もいれば、高額な代替医療を受ける方もいます。それぞれ考えがあってのことなので尊重しますが、「これをやらなければ、死んでしまうよ」という呪いと言うよりも脅しの言葉は止めて欲しいですね。
患者に希望を与えるはずの行為が、経済的に無理を強い、時間も奪い、生活も乱します。希望がいつのまにか執着になってしまいます。
私もそう受け取られないように、充分に気をつけて参ります。