こころと自然退縮

Healing

癌が消えた

がんの自然退縮や劇的寛解を経験した方に共通した原因はあるのだろうか?

20年以上前に出版された古い本ですが、多くのがんの自然退縮・劇的回復の物語が紹介されている『癌が消えた―驚くべき自己治癒力』の訳者あとがきには、どんな患者が驚異的回復=いわゆる奇跡的治癒をしやすいか?として、

この本には・・・これこそが「正しく」効果がある、と言えるものは一切書かれていないのだ。それでは何が書かれているかといえば、「その人に会う方法はその人自身がみつけなければならない。自分がどういう人間なのかを知りなさい」ということだ。それはしかし哲学的命題ではなく、不治の病に冒されていると知ったとき、その人の中で緊急の危機に対する全身全霊の総動員体制が組まれるなか、おのずと出てくるものなのだ。

私たちは生命の危機に直面したとき、それを乗り切るのは「強い意志と強靱な体」だ、と思いがちだ。けれどもアウシュビッツの強制収容所の例(フランクルの『夜と霧』を指している-キノシタ)でも分かるように、生き延びた人たちは「想像力豊かで、あいまいさや不確実性とともに生きられる人」、つまり嵐の時に逃げ込める避難所を心の中にもち、混沌の中でどんな小さなことにも自分なりのやり方や意味を見いだせる人だという。これは救いだ。なぜなら、あるタイプに自分を合わせる必要はない、ということだからだ。

とある。

膵臓がんの自然寛解

膵臓がんの例も紹介されている。

80歳の開業医だったフォークナー氏は、膵頭部にテニスボール大の腫瘍があり、生研によって膵腺がんであることが明らかだった。切除不能だった。余命はせいぜい6ヶ月と言い渡された。しかし診断から8年を生存し、膵がんの再発で亡くなった。彼は生前に友人に次のように語っている。
「頭では信じていないのだが、どうも私はがんに対して何か重要なことをしたようだ。治癒したとはいわないが、西欧の正当医学が自然緩解と呼んでいる状態にあるという事実は受け入れよう。自然緩解とは別の言葉で言えば、私たちには分からない、ということだ。」

修道女ガートルードの例は、1935年のことである。膵臓がんの診断がついており、試験的開腹手術で(もちろん当時CTはない)膵頭部が通常の3倍の大きさにふくれており、生研のみで手術はできずに閉じられた。修道女たちの祈りが9日連続で続けられた。彼女は回復して、2ヶ月後には日課の修道女生活に戻った。7年半のあいだ彼女はたゆみなく働いた。彼女が突然亡くなった36時間後に解剖してみると、死因は広範囲の肺動脈塞栓であり、膵臓に腫瘍の兆候は全く認められなかった。

酒販売会社の社長ノーマン・アーノルドの例も膵臓がんである。膵頭部に腫瘍ができており、リンパ節と肝臓に転移があった。病理報告は「多発性のリンパ節転移と孤立性の肝転移を伴った膵腺がん」であった。アーノルドは、自然食で膵臓がんを治した大学教授の話を聞き、すぐ電話をした。電話に出た妻は「夫は 亡くなりました。」と言ったのでアーノルドは「うまくいかなかったわけですね」と訊くと、妻は「いえ、風邪で亡くなったのです」と。アーノルドはマクロビオティックの久司道夫の食事療法を取り入れ、サイモントン療法にも積極的に参加した。7ヶ月後、アーノルドの膵臓には異常がなく、肝臓にも転移の兆候がなくなっていた。アーノルドは「なぜ治ったと思うのか」の問いに、意思の力=10%、食事=9.999%、医学的治療=0.001%、分からない=80%、 と答えている。

ミクロの世界は情報が力である

同じ本の中で、マイケル・ラフは次のように言っています。

たぶん寛解は、同じ死に絶えるメッセージをがん細胞が受け取っているのでしょう。がんは、DNAを溶かし、クロマチンを凝縮させ、細胞を徐々に喪失させる遺伝子を活発化するような化学的メッセージに正常な細胞と同じくらい、弱いのです。

ラフは、感情が腫瘍の死に大きな役割を果たすことは可能だ、と考えている。

それほど強烈なものである必要はないと考えています。がんは大きな異常ではありますけれど、一定期間にわたる微妙な変質の結果です。治癒もまた微妙な変化で、シーソーが再び降りてきたようなものです。たぶん感情の分子がシーソーを押したのでしょう。

彼は身体の防御の仕組みを、カオス説で説明する。<略> 心理的力は小さく弱いため、がんによる「併合」に影響を与えることはできないという従来の見方と違って、心ー体のつながりはミクロの世界で、そこは勝利は強い方へ行くだけではなく、頭のいい方へ行くという世界、情報が力である世界だ。

脳には感情と結びついている分子のレセプターが多くある。この分子は最終的に病気に対する前線となる。免疫細胞は体中を回る間に脳と交信して、報告をし、指示をもらい、別の体の現場へ公式声明をもって急行し、傷を治す処置をする。驚異的回復が示しているのは、ある一定状況のもとでは、がんは突破できない砦というよりは、情報の突風の前に震えるもろいトランプの家のようなものであるということだ。

20年前に既に、がんー体ー心の関係を、複雑系ーカオス理論で説明しようとした学者がいるのですね。エピジェネティクスの一種の複雑系です。

がんが自然に治る生き方

がんは摩訶不思議な病で、自然治癒することがたまにあることは、よく知られている。しかし、それを系統だって研究しようとする研究者はいなかった。何故だろうかと不思議に思っていた。がんの自然史の例外を研究することは、がんをより理解するための格好の教材ではないかと思うのだ。

20年後にそれをやってくれた女性研究者がいた。ケリー・ターナーである。その本とは『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』である。

治癒不能といわれたがんが自然治癒する現象が、実際の医療現場で話題になることはまずない。 しかし筆者が目を通した1000本以上の医学論文において、がんが自然に治癒した事例を報告していた。医師は治すのが仕事なのでこうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきたのである。全く科学的にメスを入れられていないこのテーマを解明するために、「劇的な寛解」事例を報告した医学論文をくまなく分析し、日本を含む世界10カ国で寛解者と治療者のインタビューを行った結果、がんの自然治癒を体験した人々には、「9つの共通する実践事項」があった。

ターナー女史は、この本において、一つの「仮説」として提起したのだが、東大病院を辞めたある医師は、これに対して「オカルト本」だと批判している。彼女の学位ががん患者のカウンセリングを専門としたものであるとか、博士論文がインパクトファクターのない三流学術誌だとかの理由である。

「仮説」には科学的に反証すれば良いのであって、それによって科学は進歩するのです。博士論文がどの学術誌に出されたかの問題ではないだろう。特殊相対性理論を出した当時のアインシュタインは、スイスの特許庁に勤める職員だったし、有名でない雑誌に発表されたので当初はほとんど注目されなかったのです。

閑話休題。ターナー女史も書いているように、自然寛解=劇的に治癒した人に共通して実践している九つの項目のうち、身体に関することは二つ(食事を変える、ハーブやサプリメントの助けを借りる)だけで、あとの項目はすべて感情や精神に関することなのです。

第5章「抑圧された感情を解き放つ」

  • わたしにとって驚きだったのは、劇的な寛解の経験者が実践していた九つの項目のうち、身体に関わることがたった二つ(食事を変える、ハーブやサプリメントを使う)しかなかったことです。残りの七つは、感情や精神にかかわることでした。
  • 「病気とは、私たち人間の身体・心・魂のどこかのレベルで詰まっているものである」これが、がん回復者と代替治療者が共通して持っていた考えでした。
  • 劇的な寛解を経験した人々は、彼らの身体・心・魂の三つのレベルにおいて「詰まり」を除去しようと、真剣に取り組んでいました。人によってはその「詰まり」は身体に発生します。人によっては心、あるいは魂のレベルで発生します。どこにそれが生じたとしても、目指すことは同じです。その存在に気づき、なぜ生じたかを理解し、完全に除去するのです。
  • 抑圧された感情とは、良いものであれ悪いものであれ、意識的であれ無意識的であれ、わたしたちが過去から引きずってきたすべての感情のことを意味します。
  • この二十年間で、抑圧された感情の開放は身体に良い影響をもたらすことが、科学的に解明されてきました。
  • わたしたちの心を形成するのは、感情に反応して分泌される神経ペプチドです。神経ペプチドは体内のどの細胞にも存在するので、ストレスのような感情は、免疫システムのみならず、身体の全細胞に負の作用をもたらします。
  • ストレスを抱えたままにしていると、がんと闘ってくれる免疫機能を弱体化させてしまいます。逆にストレスを解き放つと、免疫システムは強化されるのです。
  • (死への)恐れは、がん患者を支配する感情です。まずこの感情への対処が必要だ、と治療者たちは語っています。
  • 抵抗をやめることです。物理的な身体と、感情の身体と、魂の身体。この三つのバランスを取りもどすために、恐れること自体をやめるのです。恐れることをやめなさい。安らかに死に、おだやかに生きるために。
  • 治癒する可能性が高くなるのは、身体のバランスがとれているときです。でも恐れを心に抱いていると、エネルギーの場全体がーー微細なエネルギーの場も免疫システムもーー閉ざされてしまうのです。
  • がんから劇的に回復した人々は、ほぼ全員が、死の恐怖を直視したとき、ある意味で気持ちが和らいだ、と話していました。ずっと抱えていた仕事を片付けたように思えた、と言うのです。
  • 恐怖を感じていたら、身体は治癒しません。身体が自己治癒するのは、その人が恐れの感情を抱えていないときなのです。
  • がんが治るのは、その人が恐れを手放したときです。劇的ながんの緩解を経験した人、そして、たとえ途中で治療に戻っても長期間うまく寛解状態を保っている人たちは、「不確かな状況」と上手につきあえる人なのです。先行きの見えない、不確かな状態とつきあう。これはとても大切なことです。「いま」に腰を据え、先行きへの不安を思い描かない人は、うまく治癒するものです。

長くなるので、関心のある方は、以前のブログ記事を参照してください。

治りたがる患者は治ることが希である。


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こころと自然退縮” に対して2件のコメントがあります。

  1. キノシタ より:

    マイコさん。
    膀胱がんのステージ4、リンパ節への多発転移から4年以上とはすばらしいですね。ブログも拝見しました。膀胱がんも膵臓がんと同様に患者会が少ないのですね。
    >放射線の光が当たったがん細胞くんたちが
    キラキラした細胞に変わっていくイメージを
    していました。
    これはまさにサイモントン療法ですね。やはり心ありようが、がん患者の予後には一番影響を与えるのではないでしょうか。
    10年めざしてがんばってください。

  2. マイコ より:

    膵臓癌ではありませんが、多発リンパ節転移(遠隔転移あり)のステージ4から劇的寛解した自分のことを、ずっと考えていたところでした。
    キノシタさんのおっしゃっている通り、心の在り方は「寛解へのプロセスのひとつ」なのではないか、と思うようになりました。
    主治医の先生に憧れの感情(ファン感情のようなもの)があって、診察や治療中、朝夕の回診のときなど
    辛いがん治療とは裏腹に、自分の中の免疫細胞が元気になっていたのでは…と思います。
    先のことは考えたくなかったので、淡々と目の前のことをしていこう、目の前の治療に専念しよう、先生たちと一緒に頑張ろう、とそんな気持ちでいたことや、
    早いうちから緩和ケアや精神科の医師にお世話になったことも、良かったのかなぁと何となく思っています。

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