放医研の『虎の巻』

9月10日のBS朝日-「鳥越俊太郎 医療の現場」では~放射能を正しく知る!~とのテーマで放射線医学総合研究所の明石真言理事が出演して「正しく怖がることが大切」と言っていた。もちろん、「正しく怖がる」ことに依存があるはずがない。問題は、何が正しいことなのかが、専門家の間でも意見が一致していないことだ。明石氏の説明では、放医研、ICRPの主張が正しいことだという前提での説明であった。

放医研、放射線医学総合研究所は、がん患者にとっては重粒子線の治験を実施している重粒子医科学センター病院を持つ組織としてありがたい存在である。特に私のような膵臓がん患者には、膵臓がんの重粒子線治療では頼りにしているところである。

日本における緊急被ばく医療の責任も負っており、それゆえに今回の福島第一原発事故による放射線被ばくの影響について、放医研の医学者がマスコミで解説をすることが多い。ICRP勧告を翻訳しているのも放医研の先生方であり、放射線生物学の権威でもある。当然、マスコミでの解説は「ICRP勧告こそが正しく放射線の影響を説明している」との立場である。明石理事も同じ趣旨の説明だった。

虎の巻 低線量放射線と健康影響 ─先生、放射線を浴びても大丈夫? と聞かれたら
しかし、放医研が2007年に出版している『虎の巻 低線量放射線と健康影響 ─先生、放射線を浴びても大丈夫? と聞かれたら』は、少し趣が違う本だ。最初の一般向けの解説では「100mSv以下は安全である」との主張だが、後半の専門的な部分では、驚いたことに、ECRR(欧州放射線に委員会)が報告書で取り上げている低線量で効果が急激に増加する「逆線量率効果」についても、海外の論文を引用して説明している。また、15ヶ国の原子力施設労働者を対象とした研究では10mSvでもリスクが有意に検出されたと書かれている。前半の一般向け解説と、後半の専門的な内容において矛盾がある。

後半部では低線量放射線の影響について、現時点での内外の主要な研究を網羅的に取り上げている。『虎の巻』は放射線の専門家や医師向けに書かれたものであるが、福島原発事故が起きた現在、低線量被ばく、内部被ばくに関心のある一般市民が読むべき本であろう。(アマゾンの「なか見!検索」やGoogleブックで内容の一部を閲覧できる)

内容についていくつか紹介する。

ECRRのクリス・バズビー氏がチェルノブイリにおける子どもたちの心臓疾患について警鐘を鳴らしている。また、ベラルーシにおいて子どもたちのがん以外の疾患が「激増」しているとの報告があるが、『虎の巻』には次のように書かれている。

また近年は、原爆の被ばく線量再評価、心臓血管系疾患など非がん病変と放射線被ばくの間に有意な線量-反応関係が示唆されたり、免疫系への影響と被ばく線量に関係が示唆されるなど、新たな放射線影響に関するトピックが見出されつつある。

低線量放射線の影響について、がん死亡率の増加だけが取り上げられる傾向にあるが、循環器系疾患、甲状腺機能障害などの非がん疾患に関しては、福島の今後を考えるとき重要である。

近藤誠氏も『放射線被ばく CT検査でがんになる』で取り上げていた15ヶ国の原子力施設従事者を対象としたプール解析については、

しきい線量のない直線線量-反応関係に基づいた放射線リスクが、10mSvの被ばくにおいても有意に検出されたと結論した[Cardis 2005]。この2005年のCardisらの論文は、WHOの国際がん研究機関(IARC)のプロジェクトとして実施されたものであり、2005年6月に発表された米国科学アカデミーBEIR委員会の第7次報告書[NRC 2006]の附属書にて議論され、「LNT仮説は、低線量域において、実際の疫学的なリスク評価値として根拠のある値が存在する」と引用されている。

広島・長崎の原爆被爆者の健康影響調査の近年の研究に関して、

従来、0~2Svまたは0~4Svの線量域から線形の線量-反応関係を仮定して低線量域のリスクを推定した値は、安全側のリスク推定(リスクを過大評価)であるとされてきた。しかしながら、PierceとPrestonは、500mSv以下の被ばく例に限定して全がん(白血病を除く)発生率のリスクを推定したところ、50~100mSvの線量域において、高線量からの直線外挿による推定値が、必ずしも過大評価ではないことが見出されたとしている。また、0~100mSvの線量域の被ばく例について解析した場合には、統計的に有意なリスクの上昇が観察されたとしている。

中川恵一氏も『虎の巻』のこの部分を読んでいれば、広島・長崎の被爆者の調査によれば「100ミリシーベルト以下では発がん率が上昇するという証拠がない、ことが分かっている」などと、断定的なことは書かなかったのではなかろうか。

放射線による影響は、標的の細胞核のDNAに直接損傷を引き起こすことによって、細胞ががん化すると説明されてきた。しかし『虎の巻』では、別の機序として、活性酸素などにより二次的に変異が引き起こされる「非標的効果」があるという。

もうひとつの機構は、①DNA損傷によりゲノム不安定性が誘発され、これが二次的に突然変異を引き起こす、②放射線照射を受けた細胞が炎症反応を起こし、炎症によって生じるさまざまなサイトカイン、活性酸素などによって突然変異が誘発される、といった機構であり、・・・「非標的効果」と呼ばれている。

バイスタンダー効果、ゲノム不安定性、これらを含めたペトカウ効果についても、一節を設けて取り上げている。また、次のようなICRPの保守性を批判したかのような記述も見える。

高LET放射線、特に核分裂中性子線の被ばくでは、低線量率被ばくの方が高線量率被ばくよりも影響が大きい例が知られており、これは逆線量率効果と呼ばれている。ICRPは、このような議論には敏感に反応するが、それは、逆線量率効果が、従来のリスクの考え方が低線量域においてリスクを過小評価しているという議論につながるからである。

また、低線量放射線によるDNA損傷ではクラスター損傷が無視できないとして、

放射線による細胞レベルの傷害は、ガンマ線のようなLETの低い放射線であっても、その二次電子の飛程終端付近で急激にエネルギーが失われ、DNAにクラスター損傷が生じるとしている。クラスター損傷は、複数の種類の損傷が同時に生じており、全ての損傷を完全に修復することは困難であると考えられている。単一の傷害でも修復されずに残れば、発がんを誘発する可能性があるという考え方を維持している。

これは、臓器の全体が受けたエネルギーをその重量で割って平均するというICRPモデルの不合理性、「石炭ストーブの前で暖をとっている人に伝わる平均エネルギーと、その赤く焼けた石炭を食べる人に伝わるそれとを分別しない」を指摘しているのである。また、クラスター損傷は、細胞はDNAを修復する機能があるから低線量の放射線の影響は無視できるという考えを戒めている。

私たちは、がんについても放射線の生物への影響についても、まだほとんど知らないと言って良い。『虎の巻』ではICRPの知見も近年の分子生物学的研究の成果、被爆者集団の追跡評価によって、放射線規制の考え方は発展されるべきであると書いている。広島・長崎、チェルノブイリの影響については、これからも新しい事実が解明されるはずである。「ICRP勧告に照らせば、影響はない」という考えでなく、被ばくの「現場」から学ばなければならない。

科学が明らかにできることには限界があり、ここから先は、科学的な判断ではなく、科学的な根拠の不確実性を十分に考慮した上で、政策的な判断が行なわれ、意志決定が為される必要がある。

リスクに関するとらえ方を書いた次の文章は、福島の住民に対する対応の仕方を考えるとき、示唆的である。

リスクコミュニケーションは双方向の情報伝達である。住民に対しリスクについて教えたり、リスクが小さいことを説得することではない。コミュニケーションの過程では、客観的事実だけでなく政策も対象となる。住民が漠然と感じている不安や不信感も重要なテーマとなる。

附属書としてフランス科学・医学アカデミーの報告と、BEIR委員会Ⅶの概要が収録されているが、これに加えてECRR2010勧告を読めば、現時点での低線量放射線の影響に関しては専門家になることができるだろう。


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