今日の一冊(87)『科学知と人文知の接点』
不死社会がやってくる
ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授の著書『ワーク・シフト』では、「2007年に先進国で生まれた子供たちの半数は100歳以上まで、日本の子供たちに至っては107歳まで生きることになります」と言われている。
その真意は別として、平均寿命が延びていることは確かだし、これからも伸び続けるに違いない。
人類の運命を大きく変えるのは、京都大学・山中伸弥教授の研究で注目を浴びているiPS細胞だ。
人のiPS細胞を細胞バンクに登録し、世界の研究者がそれをもとに病気の治療法を研究する。原因を解明したところで、患者の身体に健康な細胞を戻すことで、病気の治療に役立てられる。
それだけではない。iPS細胞を使い、老化そのものを食い止めるという驚きの研究も進んでいる。2016年に医学誌の権威『セル』に掲載された米・ソーク研究所の発表によると、老化した細胞に記録された情報をリセットすることで、細胞が「若返る」という。がんのように細胞が異常に分裂してがん化することなく、細胞を若いままに保つことができるようになるという。
医療技術が社会に及ぼす影響
がん患者にとってはまさに”夢の治療法”である。筋ジストロフィー患者が普通の生活を送れるようになる。遺伝子操作でダウン症の子どもが生まれなくなる。まさに科学の進歩によって個人が健康で長寿を得ることができる。
がんも、臓器ごとの治療から、遺伝子の変異箇所によっ効果のある免疫チェックポイント阻害薬が使えるようになる。今はまだ数パーセントの患者に効果があるだけだが、これもいずれはより多くの転移したり再発した患者にも効果が出るようになる。
個人としては癌も難病も治り、長く生きることができるのはありがたいに違いないが、しかし、超高齢者社会になってみんなが幸福なんだろうか。社会が持続できるのだろうか。
生殖細胞もつくれるようになっているが、本当にそれ(命)をつくっても良いのだろうか。
そうした倫理的問題は、誰がどのように答えを出すべきなのか。
命もつくれる、癌でも死なない
山中伸弥教授も、これほど急速に技術が進歩するとは予想できなかったので、戸惑っているという。目の前にいる難病の患者を救うべきなのはいうまでもないが、どこまで許されるのか。
遺伝的に特定の病気リスクが高い場合、若いうちに細胞バンクで自分の細胞を保管し、将来的に不調が起これば、その細胞を培養して置き換える。もしくは、発症する前にゲノム編集を行い、病気になるかもしれない遺伝子を修正しておく。このようなことも実現可能だ。
しかし、こうした治療は経済的に裕福な人たちだけが受けられるようになりはしないか。
『科学知と人文知の接点』の中の山中伸弥教授と島薗進氏の対談において、
高齢化で、平均寿命がどんどん延びてしまう恐れがある。この場合は、多くの人に比較的均等にそういう利益が及ぶ。利益なんだけれども、社会的には害悪になりかねないという話しです。一方で早い段階から新しい格差といいますか、人類を二分するようなことになってしまうんじゃないかという懸念が出されています。つまり、遺伝子レベルにいたるような医療技術で心身の能力などを、改善した人たちと、そうでない人たちが別れて、一つの人類という意識も失われてしまうんじゃないか。
と語っている。SFの世界ではなく、10年後にはそうした現実が目の前に迫っている。
癌でも死なない時代になって、死ぬ時期は自分で選ばなければならないとしたら、全員が150歳まで生きる社会が、本当に幸せな社会なんだろうか。
今から、こうした問題を社会全体で考えておくべきだろうというのが、お二人の考えです。難しい問題ですね。