がんは克服できるのかーシンギュラリティとAI

シンギュラリティの提唱者であるレイ・カーツワイルは、2045年までには、コンピュータの処理能力が人間の脳を超える「技術的特異点」を迎えるという。しかし、

  • 不老不死はムリ
  • がんも克服できない
  • 自動運転なんてできっこない。事故の責任は誰が取るの?
  • 地球の資源は限られている。
  • 技術だけでは人間の幸福は実現できない
  • AI(人工知能)は数学の応用に過ぎず、人の心はとらえられない

と考えている私は、そのまま信じることはできない。

シンギュラリティとは

シンギュラリティは、もともと「特異点」を意味する言葉で、数学や物理学の世界でよく使われる概念です。

たとえば宇宙物理学の分野では、ブラックホールの中に、理論的な計算では重力の大きさが無限大になる「特異点」があると考えられています。

しかし、いま注目されているシンギュラリティは、正確には「技術的特異点(Technological Singularity)」のことです。単に「シンギュラリティ」といえば、この技術的特異点のことを意味するようになりました。

シンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能(AI)が人間の能力を超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする未来予測のこと。未来研究においては、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点と位置づけられている。

「100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越する」瞬間のこと。(Wikipediaより)

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

レイ・カーツワイル
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レイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』には、

シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、自らの作り出したテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。

人間が生みだしたテクノロジーの変化の速度は加速していて、その威力は、指数関数的な速度で拡大している。

と説明されています。

コンピュータの処理能力の飛躍的な進歩により、AIやシミュレーションによって社会的な難解な問題が次々に解決されて、創薬や医療の分野でも革命が起きる。2025年頃にはプレ・シンギュラリティが来るだろうと言われています。

シンギュラリティは近いのか?

現在は「エポック4」の時代であり、エポック5においてシンギュラリティが実現するとしています。

しかし、私は懐疑的です。「シンギュラリティとは、人工知能(AI)が人間の能力を超えることで起こる出来事」と言っても、人工知能は要するに「数学」的処理です。

数学は、論理と確率と統計で構成されています。したがって、囲碁や将棋には活躍する場があるでしょうが、現実の人間の世界ではどうなんでしょう。

哲学者ヒュームが言ったように、「私の指を傷つけるよりも、全世界を破壊するほうがましだ」と判断することが誤りであることを、論理的に導き出すことはできません。もっとも最近の大企業幹部は、「自分の在任中に利益が出れば良い。そのためには過労死をする社員が出るのは仕方がない」と、人工知能並みの理性しか持ち合わせていないようですが。

確率と統計も、「抗がん剤Aは100人のうちで50人に効果があった。Bは30人に効果があったから、Aの方が優れている」という紋切り型の結論しか出てきません。

人工知能は数学で考えるが、人間は言葉で考えるのです。人工知能には言葉を理解することはできません。

がんは複雑系だからAIでは対処できない

「複雑系」とは、相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。-Wikipediaより。

原因と結果が1対1に定まらない。同じ原因があれば同じ結果になるとは限らない系です。銀河系も気候も、もちろん人間も複雑系です。抗がん剤が効く患者もいれば、効かない患者もいる。多数の要因が複雑に絡み合って、時には<奇跡的治癒>のように、思いもよらない結果をもたらすのです。

脳神経学者であり医師でもある中田力氏は『穆如清風-複雑系と医療の原点』でこう述べている。

医療における不確定性は、複雑系のもたらす予想不可能な行動に由来し、実際にやってみないと結論が出せないことで満ちている。そして、やってみた結果が予想と反することなど日常茶飯事である。

それでも、現実的には、病に悩む人々に複雑系の理論を説いて納得を促すことは無理である。現場の臨床医は神に尋ねることも許されず、医学にすべてを委ねるわけにもいかず、不確定さを理解した上で、患者の選択すべき道を決定論的に示さなければならない。もっとも適切な選択は経験則だけが教えてくれる。しかし、それが必ず良い結果を生むとは限らない。

原因と結果が一対一に定まらないから、医療のエビデンスに統計を持ち出さざるを得ないのです。そして、上に述べたように、統計や確率では患者個人の「未来を予測する」ことはできません。

不老不死は人を不幸にする

レイ・カーツワイルはまた、人間の寿命について、

シンギュラリティに到達すれば、われわれの生物としての身体と脳が抱える限界を超えることが可能になり、運命を超えた力を手にすることになる。死という宿命も思うままにでき、好きなだけ長く生きることができるだろう。(永遠に生きるというのとは、微妙に意味合いが違う)

と述べている。

「好きなだけ生きられる」ようになれば、人工が「指数関数的」に増加することになる。しかし、地球の資源は有限であり、指数関数的な増加には、指数関数的な資源の入力が必要であるが、遅かれ早かれ資源が枯渇して消耗し、崩壊することになる。

「不老不死」に近い寿命まで生きられるとしても、果たしてそれは「幸福」なことなのだろうか。いかんせん、AIは論理で「幸福」を判断することができない。なぜ「太郎は花子が好き」なのか、AIは説明できない。

われわれは、性と死を獲得することによって繁栄した人類の末裔である。有性生殖と「死」による遺伝子のシャッフルがなければ、「個」のアイデンティティも生まれようがなく、「個」のアイデンティティの時間的蓄積が「死」によって完結することを考えれば、「死」は「生」の別名だということになります。

そもそも、永遠の命が保証されているということは、やるべき課題に”期限がない”ということであり、永遠に引き延ばすことができるということです。今日も明日もやる必要がない。これで果たして生きていると言えるでしょうか。

シンギュラリティは永遠に来ない。


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