今日の一冊(103)「病を癒す希望の力」

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病は心で治るのか?

「精神の力でがんは治るのか」ー がん患者ならだれしも気になる問題です。

精神神経免疫学(PNI)に関する日本の学会、精神神経内分泌免疫学研究会(PNEI)という組織もありますが、現状ではがんが腫瘍に及ぼす影響を研究するのが主で、精神ががんに影響する問題には、あまり関心がなさそうです。

しかし、海外ではいくつかの関連する著作が出版されています。ジェローム・グループマンの『病を癒す希望の力: 医療現場で見えてきた「希望」の驚くべき治癒力』もそのひとつです。

病を癒す希望の力: 医療現場で見えてきた「希望」の驚くべき治癒力

病を癒す希望の力: 医療現場で見えてきた「希望」の驚くべき治癒力

ジェローム・グループマン
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統計は、生身の患者の代わりにはならない

グループマンは『医者は現場でそう考えるか』という著作もあり、「医師はデータではなく、患者の物語に耳を傾ける必要がある」として、EBMに関してはこんな一節を述べています。

いわゆる科学的なエビデンスに基づいた医療(EBM)は急速に広がり、今や多くの病院において規範になっている。統計学的に立証されない治療法は、臨床試験 の成績に基づいた一定量のデータが得られるまで、ご法度なのだ。

もちろん医師は誰でも、治療法を選択する際にその研究成果も検討すべきである。しかし、 EBMに頑なに依存する今日の医学では、医師が数字だけに頼って受動的に治療法を選択する危険がある。

統計は、目前にいる生身の患者の代わりにはならない。統計は平均を表わすものであり、固体を表わさない。

医薬品や治療に関する医師個人の経験に基づく知恵<臨床試験の成績から得られた「ベスト」の治療法が、その患者のニーズや価値観に適合するかどうかを判断する医師個人の知識>に対し、数字は補足的な役割でしかない。

希望が果たす役割

『病を癒す希望の力』の中で、驚異的回復を示した患者たち(彼の言葉では「並外れた患者たち」)との30年にわたるケアを通して、病に対して希望が果たす役割を見せてくれた、と言います。

多くの人々は希望を楽天主義ー「物事は結局良くなる」とする広く受入れられている態度ーと混同しているが、希望と楽天主義は異なる」と結論づけます。「前向きに考えなさい」と言われたり、過度に薔薇色の未来を約束されても希望は生まれないとも述べています。

彼自身も、脊椎の手術に失敗して迷宮に迷い込んでいたとき、偶然の出来事から「希望のみが私の回復を可能にした」と思うようになり、「希望の生物学」を探究するようになります。

希望という感情が病気の回復に貢献しうる生物学的なメカニズムは存在するのだろうか? もし、希望の生物学といったものがあるならば、その範囲はどのぐらいにまで及び、限界はどこにあるのだろう? また、希望とは、特定の生理的変化に伴って生じるが、それらと因果的なつながりがない感情なのだろうか?

このような疑問を探究する旅に出るのです。

彼は「希望」と治癒力との関係を、彼自身の経験を含む豊富な臨床例と最先端の科学的データを駆使して、臨場感あふれる筆致で読者を魅了します。

「希望は、心の目で、よりよい未来へとつづく道を見るときに経験する高揚感である。希望は、その道の途中で待ち構える大きな障害や深い落とし穴を知っている。本物の希望には、妄想が入り込む余地はないのだ。」というグループマンは、「洞察力に満ちた希望は、自分の置かれた状況に立ち向かう勇気とそれらを克服する力を与えてくれる」と述べています。

そして「希望の生物学」の基礎をなす心身の相関性に関して、近年めざましい発展をしているプラシーボとその研究によって積み上げられているデータ注目すべきだと考えています。

「大衆的なメディアでは、心の力がほぼすべての病気の臨床結果に限りない影響を与えるかのような印象を与える主張がいたるところでなされているが、そのような主張を軽々しく真実べきではない」と述べる。

個々人の感情的反応の違いは、健康を左右する唯一、あるいは第一の決定的要因ではなく、いくつかある要因の一つに過ぎないという。しかしそれでもなお、「ポジティブな感情やネガティブな感情に関わる回路や、コレチゾールのようなストレス・ホルモンとそうした感情とのつながりがマッピングされつつある。これらの神経回路の構成要素や神経伝達物質の遺伝暗号を指定する遺伝子が突き止められれば、・・・希望の生物学に遺伝や人生経験がいかなる貢献を果たしているかが評価できるようになるだろう。そうすれば、希望がなぜ人生にとって欠くことができないのかがもっと理解できるようになるだろう。

統計的事実に反して驚異的回復を成し遂げる患者がいるかぎり、「希望の生物学」への期待はなくはならない。

本物の希望と偽りの希望

アントニオ・ダマシオが『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』で示したように、感覚や感情は論理的な思考や慎重な意思決定を形作る。

したがって、本物の希望は、しばしば最大の障害となる恐怖や不安のような感情を完全に消し去ることによっては生み出されない。

自分の診断や病気の進行状況について、最低限の情報を知る必要がある。でないと、患者の「希望」は「偽りの希望」になり、変化する困難な状況に絶えて乗り越えるための確固たる基板にはなり得ない。

病気はすべてどんな結果をもたらすか分からない。医療は不確実性に満ちている。腫瘍は教科書通りに進行していくとは限らない。だからこそ、そうした中に本物の希望を見出すことが可能である。科学の不確実性はまた、希望をも生み出すのである。

希望を持ち続けたがゆえに、生き延びた患者もいる。一方で希望を持ち続けても生きることが適わなかった患者もいる。希望を本物にするためには、科学以上のものが必要なのである。

グループマンは決して代替医療全体を肯定している立場ではない。しかし「希望」というこころと体の相互作用を自らも体験して、プラシーボ反応の中にその科学的基盤を見つけようとしている。

私たちは、希望が癒やしにどのような貢献を果たすのかを理解し始めたばかりであり、その限界は明らかになっていない、と最後に付け加えている。

現代医学の限界を明らかにしつつも、それを拒否することなく、一方で代替医療の肯定的側面も取り入れていく。『がんに効く生活』のシュレベールの考えと対処法が、がん患者にとってはもっとも「希望」をつなくことができる道であろう。


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