治らない膵臓がんをどう生きるのか

がん患者が考える「生」と「死」

元気なうちに「死」について考えることができるのは、がん患者の特権です。

誰しも「死」について考えることはあるに違いないが、がん患者は、数ヶ月先、運が良ければ数年先に手の届くところにある死を、我が身に確実に起こる事象として認識せざるを得ません。

私の弟はバイクでの交通事故で即死だったから、死について考えることも、準備もする余裕もなく逝ってしまった。

でも、がんならじっくりと考える時間がある。せっかく与えられたチャンスだ。存分に使わなければもったいない。

生物学者に言わせれば、多細胞生物が雌雄の別を持ち、つまり「性」を得ることによって、雌雄の間で遺伝子のシャッフルができるようになった。こうして多彩な遺伝子を持った固体が生まれることにより、変化する環境に適応していく可能性が大きくなる。

現在において性を持った多細胞生物が繁栄しているのは、進化の過程において「性」を得て、他の生物よりもより順応してきた結果である。そして遺伝子がシャッフルされた新しい個体が生まれると同時に、元の個体は死ななければならない。そうでなければ古い遺伝子と新しい遺伝子の合体が生じることになり、種の繁栄という性の目的に反するのである。

つまり、「性=生」が生じたことにより「死」は必然的に現われるようになった。

われわれの感覚では、生きているものが死ぬのであるが、生物学的に見れば、死ぬことによって、そうした戦略をとることによって種の繁栄が確実になるのであるから、「死ぬから生きることができる」のである。ひとつの個体が永遠の命を持たないことによって、種としての生が保証されるのである。

せっかくがんになったのだから、自分のこれまでの人生や生きてきた意味、あるいはこれからの自分の果たすべき役割など考えてみてはどうだろうか。

がん治療は、そうしたがん患者の残りの人生を支えるためにあるのだから、治らない事ばかりに目を向けるのではなくて、自分に与えられた時間をどのように十分に生きるのか。そうした方向に目を向けてみるのも悪くはない。

そのようなことを、こちらの記事に書いている。10月23日の講演会においても触れるつもりだ。

押川勝太郎先生が最近の YouTube 動画で、治らないがん患者の生き様について触れている。

「がん治療のベテラン、経験者の話をよく聞いて、たくさんのヒントを得ることができる」とも語っている。

患者会では、治るための治療法だけではなく、生きるヒントを得ることもできるのです。


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