今日の一冊(114)「がんを抱えて、自分らしく生きたい」
「自分も自分の治療チームの一員として参加したい」。この言葉をブログでも何度か使ってきました。西先生も、この本の中で同じことを言われているので嬉しくなりました。
また「医療の民主化」。これもこの本が掲げるキーワードのひとつです。
デジタルカメラが登場することによって、写真が民主化されました。フィルムカメラの時代には、一部のプロの写真家だけが、現像所に細かな注文を出すことができました。しかし、写真がデジタル化されると、Photoshop をなどを使えば、アマチュアのカメラマンでも、思い通りの作品を作ることができるようになりました。写真の民主化です。
Kindle などの電子書籍や個人ブログの成長で、一般の市民が出版することもできるようになりました。3Dプリンターなどの活用で、ものづくりも民主化されました。Twitter やインスタグラム、YouTube、Facebook などによって、情報の発信も民主化されました。仮想通貨の登場によって、金融も民主化されることになると言われています。。
しかし、医療の世界は未だ民主化されてないのです。
インフォームド・コンセントといっても、現実は医療者から提供される治療方針を鵜呑みにすることが多いのではないでしょうか。
西先生は、医療に自分の生き方を合わせるのではなく、自分の生き方に合わせて医療を味方にして歩んでいってほしい、と語ります。
患者が「医療チームの一員として参加する」とはどういうことか。自分の家を建てることを例に説明しています。
建売住宅でいいという方も多いでしょうが、本当に自分が納得できる家を建てるのなら、ハウスメーカーや建築家に相談するでしょう。
何人家族なのか。どのような生活様式をしたいのか。家族団らんのスペースに応接セットを置くのか、それとも掘りごたつを置くのか。キッチンは対面キッチンがいいのか。食洗機は必要なのか。収納スペースはどれほど欲しいのか。
そうした注文主の希望を、設計士や建築家は、法律や日当たり、土地の広さ、建ぺい率など、プロの目で注文主の希望かみくだき、予算の範囲内で可能な限り希望に沿うような提案をします。
一生に一度の高額な買い物ですから当然よく考えて慎重になります。
ところが医療の場合はどうでしょうか。お金どころか、命がかかっているにもかかわらず、「先生にお任せします」そういう患者が多いのです。そういう患者には、「建売住宅」のようなマニュアル治療でも良いか、と医療者の対応もそうなるでしょう。
自分は何が目的で治療するのか。どういう生き方をしたいのか。何が何でも治したいのか。それとも家族と一緒にいる時間を大切にしたいのか。
そういったあなたの希望を出して、プロである医療者は、あなたの体が今どういう状態なのか、これからどうなっていくのか、どのような治療法を選べばあなたの希望に沿うことができるのか、プロの目で提案してくれます。
プロの知識と技術を、最大限に利用すれば良いのです。そして最後の決定は患者自身が行う。
「主治医は俺だ」。医療者の意見は尊重しつつも、自分の命の在り方は自分で決める。最終決定権は俺にある。このように私は考えてきましたが、西先生はその立場と考え方を肯定してくれます。
この本に登場する10人の患者の例は、その一部がBuzzFeed Japanで紹介されています。
緩和ケアの世界には、「良いことに期待しながら、悪い事に備えましょう」という言葉がある。「治療を続けることが希望」、「最後まで諦めない」という気持ちは、それはそれで否定されるべきではない。でも、それに期待するだけで万が一ということに備えておかなければ、その方にとって悪い結果になった時に「こんなはずではなかった」という思いをすることになる。
それを私は大地震に備えるようなものですよと話すことがよくある。
緩和ケアの役割のひとつは、病気が少しでも良い方向に向かうことを期待しつつも、悪いシナリオが起きた時のための保険として、その時にどうしたいかを一緒に考えていくことです。
民間療法、代替療法についても、西先生は腫瘍内科医として、これらを否定する立場を明確にしています。
医療の目的は「患者さんの幸福」であるというのなら、民間療法を「信じた私たちは幸福だから」と言われると、なんとも言えないのではないか。大金をつぎ込み、命を縮めたとしても、患者さんは「やれることはすべてやった。悔いはない」と言い、家族も「本人の望みだから」と考える。誰も不幸になっていないのだとすると、民間療法を否定したいと言う側の、心の動きはどこから来ているのか、正義感からかと考えてみるのです。
民間療法はいわば宗教である。いくらあなたの信心はまちがっていると言っても、改宗する人はまずいない。そもそも改宗させる必要があるのだろうか。患者さんに踏み絵をして、無理やり改宗させたとしても、そこに幸福があるかどうかは、宗教の歴史を見れば疑問です。自分が正統派の側にいると思っているだけなのかもしれません。
ここには医療者としての葛藤が刻まれています。
医療が民主化されることによって患者の自律性が高まっていけば、そして信頼できるコミュニティに患者さんが参加していれば、民間療法から患者を守ることに繋がるはずだと、希望を語ります。
インターネット上で活躍する医療者が増えています。皆さんそれぞれ、患者さんの利益のため、幸福のために頑張っているのですが、そのスタンスや考え方は微妙に違います。そういう目で読んでみるのも、新しい発見があると思います。