緩和ケア医になったわけー大津秀一先生
次回8月31日の『膵臓がん患者と家族の集い』は、緩和ケア医 大津秀一先生の講演を予定しております。
演題は『膵臓がんの緩和ケア~これだけはおさえておくこと~』
大津先生は、緩和ケアの分野でたくさんの書籍も出しております。
人生の最期に、自分らしく生きるための多くの気付きが著されています。
そんな大津先生が、なぜ緩和ケア医になったのか。ヨミドクターの記事があります。
私が研修医1年目の時。お世話になった指導医の先生と肝臓がんの末期の70代の患者さんを診療しました。
彼は最後の1週間、とても強いせん妄となり、苦しみました。
彼は何度も何度も自分の腕をベッドの柵に打ち付けました。黄疸おうだんで全身が黄色に染まった腕には瞬く間に暗赤色のあざが増えました。
指導医の先生の指示でハロペリドールという薬剤が投与されました。せん妄を抑える薬剤です。しかしそれでも彼のせん妄は収まりませんでした。
身の置き所がないように頭を振り身体をよじらせ、壁に、柵に、手や足をぶつけました。時折うめき声をあげます。隣にずっといた奥さんが静かに、悲しみを湛たたえた目で言いました。
「先生、もうできることはないんですよね…」
「使える薬剤は…使っています。すみません」
「いいんです。先生。でも、悲しいですね…」
奥さんは最初泣き、嘆き、肩を落とし、そして絶望していました。表情はなく、ご主人の変わり 果てた姿を見つめていました。本当にできることはなかったのでしょうか?
今では自信をもって「ある」と言えます。いずれ連載でお話ししたいと思いますが、このような場合は鎮静薬でうとうとと眠って頂いて苦痛を取る「鎮静」を行えば良いのです。もちろん命は縮めません。しかし終末期の「鎮静」に熟達した医師は多くありません。しかも私は「鎮静」があることすら知りませんでした。
できることはなかったのではない。知らなかっただけだったのです。そしてできなかっただけなのです。
がんの終末期だって、できることはたくさんある。だから緩和ケア医を選んだのです。
『膵臓がん患者と家族の集い』の詳細と、参加申込みは、オフィシャルサイトからお願いします。<画像をクリック>