城山三郎 『そうか、もう君はいないのか』

このところ6週間連続でチェロのレッスンが続く。年末年始の分をまとめてやっておこうということなので、それなりに気合いが入って通っている。いつものように蕎路坊で野菜天ざると酒。一時間ほど酔いを覚ましてレッスンに入る。左腕の五十肩もだいぶよくなってきたのは、チェロのレッスンが効いているのかもしれない。課題曲の「私のお気に入り」も今回でおしまい。初めのころに比べてずいぶんと上達したと自分でも感じる。テンポに乗っている。低音部とのハーモニーもきれいに調和している。先生もべた褒めだから気分がいい。

そうか、もう君はいないのか

城山三郎の『そうか、君はもういないのか』を読む。城山さんの没後に発見された愛妻への遺稿であり自伝のような本で、妻の容子さんが癌でなくなるまで
の思い出でもある。ほのぼのしたいい夫婦だ。容子さんが高校生で城山さんが学生の時、突然の休館日となった図書館の前で、途方に暮れている二人が偶然にであう風景。『天から降りてきた妖精』のような赤いワンピースの容子さんに一目惚れした城山さん。親から反対され一度は分かれるが、数年後のまた偶然の出会い。こうなるともう結婚へとまっしぐらしか道はないよね。

新婚旅行の宿で、初夜の行為の結果としてベッドのシーツを汚してしまい、一生そのホテルには近づけなかったなど、笑ってしまう。容子さんが新婚旅行の報告を電話して、「とってもよかった」を連発したそうで、後日義兄から「あのときはすっかり当てられてしまった」と言われる。そんな天真爛漫というか、うぶな容子さん。

城山さんのこんな詩もある。

深夜
おまえの寝息を聞いていると
宇宙創造以来の歴史が
ふとんを着て
そこに居る気がする

生きていることの
奇怪さ
美しさ
あわれさ

おまえの寝息がやむと
大地に穴があいたように
寒くなる

さて
おまえの乳房をつかんで眠れば
地球ははじまり
地球はおわり

そんな容子さんが肝臓癌になる。診察を終えて帰ってきた容子さんは、鼻歌交じりにポピュラーな歌に自分の歌詞を乗せて歌いながら部屋に入ってくる。
「ガン、ガン、ガンちゃん ガンたららら・・・・・・・・」
癌があきれるような明るい歌声であった。城山さんの腕に飛び込んできた容子さんをただ抱きしめるだけの二人。

どうせ、あちらへは手ぶらで行く―「そうか、もう君はいないのか」日録

ニューヨークにいる息子さんが見舞いに来て、帰ろうとしたとき、突然病室のベッドから滑り降りて立ち上がり、直立して挙手の礼をする。息子さんも驚きながらも挙手の礼を返す。悲しいけれども、笑いたくなる最後の別れ、と書かれている城山さんはそのシーンを思い出すたびに、容子さんの最後にふさわしいフィナーレだったと思う。

別の一冊『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』は城山さんが亡くなったあと発見された9冊の手帳の内容を整理したもの。

個人情報保護法に反対の立場の城山さんが、何度かテレビに出ていたことを思い出す。最愛の奥さんを亡くし、ご自身も体調を崩している状態で、生き残った特攻隊員の使命感からあのような行動を取られていたことを知る。

癌を告知され、余命を告げられて時、「残された時間を有意義に過ごす」などと、書いてある本をよく見かけるが、有意義な時間の過ごし方なんていうものは、われわれ凡人にはどう過ごしていいのか、はたと迷ってしまう。偏凡な日常を平凡に生きることでいいのじゃないだろうか。これまでよりは少しは物事をよく見て、ほんの少しよく考えて、食事や家族との時間を、これが大事な時間なんだとちょっと意識的に感じ取って過ごす。そんなことしかできそうにないし、それでいいのだと思う。やりたいことを精一杯にやる。死に対峙する妙案は、案外そんなところにあるはずだ。


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