今日の一冊(99)『QOLって何だろう』

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【日 時】2019年6月22日(土) 13:10~16:30(開場・受付:12:50ごろ)
【場 所】JR京浜東北根岸線 大森駅東口から徒歩4分 Luz大森4階 入新井集会室
【参加資格】膵臓がん患者とその家族、遺族
【参 加 費】1,000円(会場使用料及び資料代、講師謝礼)
【定 員】 90名
【内 容】
●講演:がんと心の関係~サイモントン療法による癒やし~
川畑のぶこ氏(NPO法人 サイモントン療法協会)によるサイモントン療法とマインドフルネスの講演およびエクササイズ
●患者さんどうしの情報交換~フリートーキング

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生命倫理学を専門とする北里大学一般教育部教授 小林 亜津子氏が、QOLと医療、幸せとは何かを一緒に考えます。

QOLはQuality of Lifeの略語で、「生命の質」や「生活に質」、あるいは「人生の質」とも訳される生命倫理学のキーワードです。

「生命の質」と言えば、生きることの意味や価値が問われ、人間の生命の尊厳や、苦痛のない「いのちの状態」が問題になります。

「生活の質」と表現すれば、病気を抱えながらも、できるだけ普段通りの生活を送れることや、自立して生きられることを目指そうとし、「人生の質」なら、その人の「生きがい」、自分らしく生ききること、自分の人生観に沿った生き方ができるかが問われます。

がん患者とQOLー待夢さんの例

がん患者にとっても、上の3つの「質」が鋭く問われることになります。耐えられないほどの抗がん剤の副作用に耐え、あらゆる先進医療を試し、少しでも長く生きることを目指すのか、それとも、長く生きることよりも「よりよく生きる」ことを選ぶのか。

抗がん剤の効果がなくなって、次に使える薬もないとき、否応なく「自分の人生観」や「価値観」、「いのちとは何か」を考え、これからどのように生きるのか、あるいはどのようにして「死」を迎えるのかが問われるのです。

この問題に真剣に向き合って答えを出した待夢(たいむ)さんが、先日の「膵臓がん患者と家族の集い」で講演をされました。

40歳代の膵臓がん患者である待夢さんは、手術ができるステージであるにもかかわらず、自分の価値観、人生観に従って手術を拒否した方です。

手術を拒否した理由は、生まれて間もなくミルクを吐くことが多く、原因がわからず、大学病院をたらいまわしにされて、3歳までに6回の開腹手術を受けたが腸ねん転のような激しい腹痛が1か月の間に1週間。それが20歳過ぎまで続いた。

医者にモルモットにされたという思いが強く、それ以来医師を盲信しないようになった。成人後、胃腸科の先生に聞いたら、「先天性腸回転異常」といって手術をすると、余計に腸が癒着してしまうと聞かされ、医師への不信が確実になった。

手術のなかでも難易度が高いと言われる膵臓がんの手術をすれば、術後は高い確率で腸閉塞や腸捻転が起きるに違いない。しかも手術ができても8割以上の患者は再発・転移する。手術をすれば余命は伸びるかもしれないし、わずかだが完治の可能性もある。

しかし、持病を持った待夢さんは、術後のQOLと得られる恩恵を考慮して、今の自分にできることをやり、それで悪化したらそれが寿命だと思うことにした。

小さいころから「死」に対面して生活してきた待夢さんには、「死」に対する絶望的な恐れは少ないのかもしれません。

家族も、そうした待夢さんの決心に対して「本人がいちばんいいように選択して」と、納得してくれた。奥さんも「入院などしない元気な時間が一日でも長い方が良い」と応援してくれている。

無治療を選択するはずだったが、親戚などから遺された家族への「何もしなかった」という非難が起きることも考慮して、抗がん剤を減量して投与している。

ご自身の症状と治療の可能性を充分に考え抜いた上での「手術をしない」という選択でした。迷いもあったに違いないでしょうが、こうして自分の価値観、人生観をはっきりと持った決断は、なかなかできるものではないでしょう。

治療への希望があるから生きることができるのです。しかし、抗がん剤の副作用に耐えることが「生きがい」になってしまっている場合もあります。何のために治療するのか、希望が実は、執着になってはいないか、がん患者としては時々ふりかえってみることも大切でしょう。

待夢さんの講演からは、治る希望を得ることはできないかもしれません。しかし、たくさんの方に、生きる希望を与えたのではないでしょうか。

写真家 篠田登志雄さんの例

この本『QOLって何だろう』には、2013年に放映されたテレビドラマ「ラストホープ」の天才写真家 篠田登志雄(石黒賢)の例が取りあげられています。

篠田は、脳腫瘍の一種である膠芽腫のステージ4で余命は3ヵ月と告げられます。さらに、加齢黄斑変性という目の病気で、右目は完全に失明し、左目もほとんど見えない状態でした。

高度先進医療センターの医師は、「治るのは厳しいが、余命は伸びる可能性はある」と告げます。

篠田は「治らないと分かって良かった。これで覚悟がついた」と語り、医師に頼みがあると切り出します。

「頼みがあるんだ。命はいい。目の方を治してくれないか。研究段階のものでも何でもいい。一瞬でいいんだ。この目を見えるようにしてくれないかな。」

絶句した医師は、「どうしていのちより目なんですか?」と問うと、「俺は写真家だ。もう一度写真家に戻って、目の前の風景を切り取りたい。写真家として最期を迎えたんだよ。」

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愚行の権利

現在の医療においては「同意原則」が法的にも倫理的にも重視されています。患者が「いやだ」と言えば、それが医学的に見てどんなに馬鹿げたことだと思われても、医療を強制することはできません。

憲法13条には「幸福追求権」が認められていますから、他人に迷惑をかけないかぎり、どのような危険で馬鹿げた行為も認められるべきです。

そうであるのなら、私たちには非合理的など思われること、「愚行」をも選択する権利があるということです。

「愚行」と言っても、つまらない行為と価値判断をしているわけではなく、危険なこと、自分のいのちや健康をリスクに曝す行為という意味です。

医療における「愚行」において重要なことは、患者は決して「死にたい」わけではなく、ただ自分らしく「生きたい」だけなのです。医学的観点からは愚かな行為であっても、本人にしてみれば、QOLを熟慮した上での判断であり、自分の生きがいを大切にした結果なのです。

治療を拒否する彼らの行為とは真逆ですが、最期の最期まで抗がん剤の投与を続けたいという行為も、医学的には余命を縮めるだけであっても、患者本人にとってはそれが「希望」であり、「生きがい」になっている場合があります。緩和ケアに移れば良いのにと思われても、本人にとってはそれが唯一の治療になっているとしたら、誰にもせめられないことです。

もう一つ考えておかねばならないことは、医学が進歩したから「愚行」ができるようになったということです。

2001年にゲムシタビン(ジェムザール)が承認されるまで、膵臓がんに使える抗がん剤はありませんでした。その後もしばらくはゲムシタビンだけの時代が続きました。私が手術した2007年は、術後の補助療法ではゲムシタビンしか使えませんでした。

2001年までは、抗がん剤を使うか使わないかという選択肢はなかったのです。膵頭十二指腸切除術が危険な手術だった時代は、延命と手術死は危険な賭だったのです。

篠田の場合も、高度な目の手術ができるように医学が進歩したから、「愚行」を選択できたのです。

君が救いたいのは、私じゃない

篠田と医師とはQOLをめぐって深いコミュニケーションを重ねるのですが、後日医師たちが改めて状況を伝えます。

目の手術で視力が戻る可能性は10%、脳腫瘍の手術で余命が伸びる可能性も10%だと告げます。

「いのちと目、可能性が同じ10%という偶然、ハハハ・・・面白いね。目の治療を優先してください」

医師たちは言葉を失います。気を取り直して、

「脳腫瘍の治療を優先してください。患者があきらめても、医者が諦めるわけにはいかない」

それを聞いた篠田は、

「君が救いたいのは、私じゃない」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。君が見ているのは、私じゃない」

「医者として、どんな状況であっても、だれ一人見捨てない・・・」

「怖いのか?」

「えっ?」

「君は最初から頑なに、いのち、いのちと言っている。医者としてその信念が崩れるのがこわいように感じるが、気のせいかな?」

「・・・・」

「それは俺も同じだよ。最後に写真家でいられないことがこわいんだ。このまま暗闇のなかで死ぬことがなによりもこわい。写真を撮ること。それは、俺にとって生きることだ。」

それでも懸命に治療を勧める医師に対して、篠田は、

「君が救いたいのは、私じゃない」

と言いきります。医者としての信念を救いたいだけではないかというのです。

そう、患者の病気は見るが、人は見ない。人間の価値観や人生観を見ようとしない。これも一つのパターナリズムでしょう。

目の手術をする決意をした篠田に、眼科医が伝えます。

「確かに成功率10%とお伝えしましたが、それを50%に引き上げる自信があります。私は私以上に、優秀な眼科医を知りません。」

手術が終わり、2週間後に眼帯を外すと、篠田の目は見えるようになっていた。篠田は屋上に連れて行くように頼み、カメラを持つが、「残された命、最後にカメラなんて必要ないのかもな。この目に映った大切なものを心の目で撮る。いや、せっかくだから一枚だけ撮ろうか」と言って、脳神経外科医の橘を被写体に最後の写真を撮ろうとする。

笑わない橘に、篠田は「笑わなくていい。仕事に真摯に取り組んでいる、誇り高き女医。それが君らしい。こんなに嬉しいことはない。これで私は写真家として死ねる」と言って、最後のシャッターを切る。

最後に、フロイトはこのように語っている。

生きることの意味と価値について問いかけるようになると、われわれは狂ってしまう。何しろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから

この本の目次
序章 QOLって何だろう
第1章 医療とQOL
第2章 高齢者医療とQOL―フレイルにどう対処したらよいか
第3章 認知症ケアとQOL
第4章 QOLを伝えられない人のQOL
第5章 家族と私のQOL
第6章 看取りとQOL


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