今日の一冊(141)『エンド・オブ・ライフ』佐々涼子

2012年に『エンジェル・フライト 国際霊柩送還士』で開高健ノンフィクション賞を受賞した著者の最新作。

佐々涼子の友人、膵臓がんになった看護師 森山文則さんの物語を通して、終末期のあり方を考える。

エンド・オブ・ライフ (集英社インターナショナル)

エンド・オブ・ライフ (集英社インターナショナル)

佐々涼子
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発売日: 2020/02/10
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人は誰もがいつかは死ぬ。だから元気なうちに、その時どういう最期を過ごしたいのか、どういった医療やケアがしてほしいのか、病院で最期を迎えるのか、それとも自宅で介護を受けながら家族と最期の時間を過ごすのか。そういったことを、前もって考えておきましょう、というのが政府が提案する「人生会議」です。

特にがん患者にとっては、自分の残された時間が概ね分かるようになってくる。すると、どういった最期を過ごすのかと考える時間ができてくる。エンド・オブ・ライフが重要な問題になってきます。

この本は、京都で訪問医療を行っている渡辺西賀茂診療所の男性訪問看護師 森山文則さん(48歳)が主人公です。

最期の約束 潮干狩り

この診療所は、在宅の患者等の最後の希望をかなえるボランティア活動もしています。

37歳の女性で食道がんである患者が一時帰宅をしたいと、京都大学付属病院から紹介されてきました。

一時帰宅の目的は、家族と潮干狩りに行きたいと言うのです。 6月に家族で潮干狩りに行くと約束をしていたのに、急に具合が悪くなってその約束も果たせていない。だから死ぬ前に、どうしても家族全員で潮干狩りに行きたいと言うのです。

渡辺西賀茂診療所はこれに全面的に協力することにしました。もちろんボランティアで費用は請求しない。

ところがなんと、潮干狩りに行く先というのが、京都から180 km も離れた知多半島の南端なんです。本人はその途中で命がなくなっても構わないと覚悟をしています。彼女にとっては潮干狩りに行くことがクオリティ・オブ・ライフ「人生の質」なのです。

入念な打ち合わせと準備のもとに、別の車に酸素ボンベも乗せて潮干狩りに出発します。患者の酸素飽和度は70%に落ちています。危険な状態です。途中の長島パーキングエリアで休憩、酸素飽和度は50%台です。それでも本人は比較的元気です。そしてビーチについて、患者も水着に着替えて車椅子で波打ち際まで行きます。

全員で十分に楽しみました。約束を果たしました。

そして呼吸困難な状態で全身チアノーゼ反応が出ています。しかしみんなは車で京都の家に帰ることを決断します。

「ママおうちに帰ろう。お家に帰ろうよ」「そうやな、いいね帰ろう。茂美」そして自宅に帰ってきます。そして家族との約束を全て果たして、ご主人の腕に抱かれて息を引き取ります。

ステージ4の膵臓がんが見つかる

この最後の潮干狩りドライブに同行した看護師が森山文則さんでした。その森山さんに肺転移した膵臓がんが見つかります。手術ができないステージ4です。

彼は約200人の患者の死を迎える場に立ち会って気持ちに寄り添ってきました。

死ぬことを覚悟して、より良い最期の時間を過ごすように援助してきたはずの彼が、しかし、膵臓がんになって死を拒否するようになります。

抗がん剤も効果がなく、できる治療法もなくなって看護の現場から完全に身を引いている森山が、のめり込んだのは「自然の中に身を置くこと」「自然食品を食べること」「湯治」「寺社巡り」でした。

自分の身体の声を聞かずに、ストレスを溜めたためにがんになった。だから身体が喜ぶ場所に行き、自分が一緒に過ごして快適な人といて、気持ちが良くなることをする。これが自然治癒力を高めることにつながるのだと考えるようになります。

こうして「代替医療」「ホリスティック医療」と呼ばれるものに彼は急激に惹かれていったのです。

森山は著者と「患者の視点から在宅医療を語る本を作りたい」と約束していたのですが、一向にそうした話題に乗ってきません。美味しいものがあると言っては一緒に食べ歩き、観光に行き、お喋りをするばかりです。

そうした日々を過ごした森山は、自分の葬儀の打ち合わせのために寺に向かいます。葬儀の段取りをした彼は、エリザベス・キューブラー・ロスのいう、5段階の最終段階「死の受容」に立っていました。

もうベッドの中で身体を起こすことも辛く、うずくまっている森山に、約束はどうするのかと問いかけます。

「在宅医療について語ると言われてついてきました。でもまとまった話は聞いてないですよね。」

そう言うと森山は、「ふふふ・」と笑って、「何言ってんですか。佐々さん。散々見せてきたでしょう。これこそ在宅の最も幸福な過ごし方じゃないですか」

自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、体の調子を見ながら好きなものを食べて、毎日まるで夏休みの子供のように遊び暮らすのが、森山の選択だったのです。

「捨てる看護」を唱え、看護職の枠を超えた人間としての看護を目指した彼は、西洋医学の専門職を降りて、全ての治療をやめ家族の中に帰っていったのです。

医療もなく、介護もなく、療養というのも廃した日々を過ごすことを彼は選んだのでした。

著者と森山との七年の付き合いを縦軸に、さまざまがん患者らの最期の過ごし方を横軸にして、患者や家族の心の乱れて揺れる様、落胆そういったことを、小説のように繊細な描写をで語りかけてきます。

正解はないのかもしれません。最後の最後まで治療を諦めない生き方もあるだろうし、森山のような生き方もある。それ以外にも、多くのがん患者の最期の送り方が取材されています。そのたびに、「私だったらどうするだろうか?」と考えさせられました。

多くのがん患者さんに読んでほしいノンフィクションです。


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