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「膵臓がん患者と家族の集い」のご案内


【日 時】2022年6月26日(日) 13:00~16:00(開場:12:45)
【会 場】Zoomを使ったオンライン開催
【対 象】膵臓がん患者とその家族
【参加費】1,000円
【定 員】60名
【内 容】
第1部 保坂隆先生のご講演『がんは「気持ち」で治るのか?』
第2部 患者さん同士の交流会
申込受付中です。

詳しくはオフィシャルサイトで

今日の一冊(144)清水研『もしも一年後、この世にいないとしたら。』

もしも一年後、この世にいないとしたら。

もしも一年後、この世にいないとしたら。

清水研
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発売日: 2019/10/11
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明日も今日と同じという保証はない

私たちは、明日も今日と同じように、元気で目が覚めて、同じような一日が過ぎていくだろうと、そのように予測をして生きています。

通常はこの考え方で間違いはないのですが、しかし、厳密に言えば、明日も今日と同じであり、同じように生きているという保証はありません。

かといって、毎日まいにち、明日の朝も生きて目が覚めるだろうか、健康で元気な一日が過ごせるだろうか、そのように考えて暮らすことは、言ってみれば神経症であり病気でしょう。

明日も今日と同じようにやってきて、何事もなく過ぎ去っていく(はずだ)。こうした考えを「正常性バイアス」と言うのでしょうが、このように考えることによって、人間の限られた情報処理能力でも問題なく生きていくことができるのです。

ですから、正常性バイアスというものは、時によっては必要なものです。

しかしがんを宣告されたり、その中でも膵臓がんだと言われると状況は一変します。狼狽えずに受け止めて過ごせる人は少ないのではないでしょうか。

明日も今日と同じような日がやってくる。それがまだ20年30年それ以上も続くと考えていた人に、突然膵臓がんが宣告され、場合によってはあと数ヶ月の命だと宣告されるわけですから。

がん宣告後のふたつの受け止め方

ここからの対応は二つに分かれるのではないかと思います。

一つは「がんなんかに負けていられるか」と、膵臓がんについての色々な事を調べ、自分にできることをやってみようとする。万に一つの可能性がある治療法であればチャレンジをしてみる。何が何でも生き抜いてやると、そうした受け止め方です。

これはこれで立派ながんとの戦い方だと思います。

一方で、「まあ、がんになったんだから仕方がない。歳をとればだれでもがんになるさ」と受け止める方もいます。

長生きをしたご褒美ががんでしょ。その程度に考えて、治療は医者にお任せて、あまりがんことは深く考えない。とりあえず今日を楽しく充実して過ごす。こういう風な生き方をする人もいます。

どちらが良いとか悪いとかいうことではないんです。それぞれで良いと思います。

私の場合はどうだったかと思い返してみると、後者の方に近いですかね。

膵臓がんを告知される前にも直腸がんの手術もやってましたし、交通事故で一命を取り留めたこともあります。ですか「人間なんて簡単に死ぬのだな」という実感を持っていました。

今できること、今しておくことはなにか

膵臓がんの治療法については情報も集めて色々とチェックもし、このブログにも書いてきましたが、もっとも重視したのは、「今私がしなければいけないことは何なのか。今でなければできないことは何なのか」ということでした。

遺された妻や家族が、経済的困窮に陥らないように、できる限りの方策を計画しておくことでした。

さて、この記事の主題ですが、清水研先生の『もしも一年後、この世にいないとしたら。』というタイトルの著作ですが、色々と考えさせる点があります。

人生でいちばん大切なものはなにか

例えば、人はがんになって初めて、人生で一番大切なことは何かを考えるのではないでしょうか。私もそうでした。


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六十歳を前にして膵臓がんを告知されて手術をし、抗がん剤治療をしている時に定年を迎えました。社長に就任という話もあったようですが、お断りしました。膵臓がんを経験した私にとっては、名誉や地位などというものは何の魅力も感じない存在だったからです。

清水先生の本でもいくつかこうした話題が取り上げられています。

人生で大切なことは何かを考えると行動が変わります。その通りですね。

そして大切な人との時間を何よりも優先する、そういう生き方をするようになります。

がんになっても社会的役割はある

これは多くの患者さんと接していて感じることですが、皆誰かの役に立ちたいというそういう気持ちを持っている患者が多いです。

例えば自分の病状や副作用についてブログに書くことによって、同じ悩みを持っている方の役に立つのではないか。そうした思いでブログを書かれている方もいます。あるいは町内会や地域の NPO なので積極的に活躍を始める方もいます。

そうした生き方をしていると感じることがあるんですね。

それは何かと言うと、運命だとかそういう言葉では言い表せない、人間の力を超えた何か大きなものを感じることがあるのです。

言葉を変えていれば言えば、がんになったけれども、このように「人の役に立つ行き方をしていくことによって、逆に生かされている」という感覚があります。

膵臓がんと言われたら、まず死ぬ覚悟をしなさいよと、私は常々厳しいことを言っています。

それは何も治療を諦めなさいというわけではないのです。そうではなくて、治療は一所懸命にやる、情報も一所懸命に集めて、標準治療以外の自分でできる治療法も積極的にやってみる。そうすべきだと思います。ですがその一方で、ただ単にがんの治療だけに自分の人生を使ってしまって良いのだろうか、もったいなくはないですか、と、そう言いたいわけです。

がんであろうがなかろうが、今この時間、この人生を有意義に過ごす。あるいは自分のやるべき役割があるはずですから、それを立派に果たしておく。

社会の中で自分のやるべき役割、例えば父親として母親として、そういったものがあるはずです。あるいは地域の中での自分の役割があるのでしょう。そうした社会的な人間としての責任を果たしながら、がんの治療にも取り組む。そうした生き方がそうしたがんとの付き合い方ができれば素晴らしいことではないでしょうか。

清水健先生の講演を聴きながら2月12日には皆さんと一緒に、そのようなことを考えてみたいと思っています。

講演の後の患者同士の交流会も、Zoomでのやり方が少しは順調になってきたきもします。

同じ病気を抱えたみなさんと、たくさんの気付きが得られることを期待しています。

 


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