何となく引っかかる「闘病記」ということば

このブログを立ち上げたときのタイトルは「膵臓がん闘病記」でしたが、「闘病記」ということばになんとなく否定的な感触を覚えるので「サバイバーへの挑戦」と変えたのが昨年の8月でした。変更の理由をこのように書いています。

ヒロインは死んでしまうのですが、これが「闘病記」として一番先に頭に浮かんでくるのですね。言葉自体が暗いイメージです。私は死ぬつもりはありませんの
で、となるとこのタイトルはちょっとまずいんではないかと思い初めました。そうなると気になります。で、タイトルを変えてしまおうという結論です。

TOBYO』というサイトが2008年2月から開設されています。ウェブ上でさまざまな患者が発信している闘病記を紹介したサイトですが、この開発された方のブログにこのようなことが書かれています。

一般に「闘病記」を語るときに、「勇気をもらえる」とか「元気が出る」などの表現が用いられることが多い。だが、これは本当にそうなのだろうか。何か歯の浮く過剰な美辞麗句に過ぎないような気もする。(略)
健康者のわれわれが「闘病記から勇気がもらえる」などと能天気にもてはやすのとは逆に、この闘病者のように「辛い苦しい悲観的な情報をみつけたら気の小さい私は当然落ち込む」と考えたり、「なるべく悲惨な事例は知りたくない」と考える人も確かに存在するはずなのだ。

ウェブ上にはいろいろな闘病記がありますが、私もあまりそれらを探索するということはしないですね。どういうものを探索するかというと、自分の癌に役立つ情報がある、病状が改善しているなど希望を与えてくれる、膵臓がんについて私の知らない情報がある、このようなブログをGoogleリーダーに登録して更新をチェックしています。

「闘病記」を読んでいると、亡くなった患者に代わって家族が感謝の言葉を書いていたり、症状が悪化しているという書き込みの後、何年も更新がなかったり、そんなブログに出会うとこちらも心が穏やかではなくなります。癌と果敢に闘い、充実した人生の終幕を過ごすことは大切なことだと思います。でも「闘病記」映画やドラマと同様に、あまり読みたくはないという気持ちです。


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