神楽坂散策

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結局毎日書いてるじゃないか、と言われそうですが・・・

先週の日曜日、JR飯田橋駅を降りて神楽坂を歩いた。神楽坂は40年ぶり。都内に住んでいても多くの街は訪ねたこともない。学生自分のその当時、神楽坂というと映画館。佳作座はもうなくなったが、名画座ギンレイホールとして残っている。メイン通りの両側はまるで原宿か青山かと見まがうばかりで、シャッターを押す気にもなれない。夏目漱石の生家もこの近くにあったはずで、矢来町と牛込の先の喜久井町というのは夏目家の井桁に菊の紋所から名付けたと、漱石が書いている。夏目家は江戸町奉行支配下の町方名主で、神楽坂から高田馬場あたりまで11カ町を支配していたとも。

当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人気のない茶畠とか、竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物はたいてい神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。『硝子戸の中』

馬場下から神楽坂にいたる道の当時の寂しさは、今の神楽坂からは想像もできない。40年前の私のイメージも再開発された街にはほとんど残っていない。しかし、一?路地に入れば、そこには芸者小路もあり石畳もある。銭湯も残っている。北風の寒い午後の時間を、カメラを肩に気ままに歩いてみた。

ちょうど和服を着た女性に芸者小路で出会った。なんと幸運なこと。どうやら何かの取材のようでカメラマンと一緒であったが、ちょっと失礼して一枚撮らせていただいた。

2時間の散策で写真は撮れるし、運動になって免疫力も上がっただろうし。カメラを担ぐと2時間の散歩も苦にならない。

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通院ついでの歴史散歩~東京・隠れた旧跡巡り ロハス・メディカル叢書2 (ロハスメディカル叢書 2)
東大のがん治療医が癌になって ああ無情の勤務医生活』の著書もある加藤大基医師が『通院ついでの歴史散歩~東京・隠れた旧跡巡り』という本を出しています。ロハス・メディカルの連載を一冊にまとめた本ですが、加藤医師は風流人のようで、東大病院をはじめ、本で取り上げられた散歩コースでたびたび漱石や鴎外のことを語っています。若い先生ですが、医学の他にも深い学識のある方だと感じました。残念ながら私が検査で通院する癌研は埋め立て地にありますから、歴史的な由緒ある土地ではありません。

通院のついでに病院の近くを歴史散歩なら、治療と運動による免疫アップが一挙両得。帰路にはちょっと遠回りをして、自分なりの散歩コースを考えてみるのも心楽しいことに違いありません。


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神楽坂散策” に対して2件のコメントがあります。

  1. ひろた より:

    キノシタさま。
    はじめまして、ひろたと申します。
    話は長くなってしまいますが、
    私は、2009年からアメリカ、アーカンソー州の高校に留学している、高校2年生です。
    学校の宿題で、論文というのか作文というのかそういうものを書いています。
    宿題は2週間ほど前から出ていて、今まで自分が選んだトピックについて調べていました。明日までにあらすじ程度のものを提出しなくてはいけないのですが、そのトピックではどうもかけなさそうだということがわかり、とにかく自分の興味のあるものをネットで探していました。そして、昨日の夜たまたまキノシタさまのブログにたどり着き、朝の4時までずっといろいろ読んでしまいました。
    2009年の夏まで日本で16年間暮らし、小学生のときから念願だった留学にいけることになった私ですが、4歳のころからヴァイオリンとピアノをはじめて、ずっと音楽と日々を共にしていて、キノシタさまに共感するところがたくさんあり、普段夢中でブログなどを読まないのですが、夢中になって読んでしまいました。それから、去年、父とはじめた写真も共感のひとつでした。
    今週の金曜日までに仕上げなくてはいけなくて、どうしても急なのですが、このブログを参考にさせていただけないでしょうか?
    見知らぬ通り掛りのものなのに、突然で申し訳ありませんが、私のメールアドレスに返信していただきますと幸いです。
    長文失礼いたします。

  2. より:

    キノシタさま
    ・神楽坂は私も学生時代、当時は飯田橋にあった出版社でアルバイトをしていた時によく通りました。早稲田通りから大久保通りを通り、夏目坂近くのアパートから神楽坂を上り下りしてアルバイト先に出かけたことを思い出します。
    ・OTSに関する私のコメントは、OTSに直接電話連絡をして確認したものです。キノシタさんが紹介されていたテラ(株)と慶應病院のWT1の共同治験についてもテラ(株)に問い合わせをしたのですが、OTSもテラ(株)も電話でも応対は共通してやや冷めたものでした。会社の利益に直結しないからかなと、当否はともかく勝手な想像を巡らしたりしました。
    ・キノシタさんが同病の方のブログにコメントされているのを拝読しました。まさに正鵠を射たものだと思いました。
     患者は、あわよくば完治、奇跡的と呼ばれようがcomplete recoveryを望むわけです。わずかだれども「有る」という事実に縋ろうとします。それに対して医者(外科医→術後は化学治療内科医(?)、または腫瘍内科医)は、ほとんど根治が「無い」というデータをもとに一般化された治療方針で臨むことになります。医療ミスや訴訟を避けたいという側面と同時に、(野球の野手に喩えるなら)一人の患者に対するスーパーファインプレーよりも、どの患者に対しても堅実な守備こそ大事だという思いがあるのかもしれません。英語で言えば、a fewとfewの違いですが、視点のベクトルの違い(時に真逆)は如何ともしがたいところがあるように思います。長文失礼しました。

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