人が一人死ぬって大変なんだ
随分と報告が遅くなりましたが、大腸がんの末期で緩和ケアを続けていた弟が、昨年のクリスマスの日に亡くなりました。
独身で大阪で独り暮らしをしていたのですが、3年前頃から警察や消防から、あるいは病院から私に時々連絡が入るようになりました。
セブンイレブンのトイレで暴れて、素っ裸で店内をうろうろとして警察に保護される。
自転車で繁華街の居酒屋に飲みに行くのですが、鍵をかけないので必ず自転車が盗まれる。自転車は半年間で十数台買いました。
自転車で転倒して病院に運ばれるが、治療を拒否して宿直の担当医から私に電話が来る。
酔っ払って横断歩道を赤信号で自転車で渡ろうとして車にはねられる。
車を運転中に新型コロナに感染して高熱が出て、狭い路地を自転車とバイクをなぎ倒しながら走り抜けてシャッターにぶつかってやっと止まる。
こんなことが連続で続きましたね。結局は認知症の初期だったのですが徐々にひどくなってきました。
大腸がんも初期で見つかって手術をしたのですが、その後の再検査やフォローしないので、再発が分かった時にはもう治療が膵臓に食い込んでいて手術ができなかった。
遠距離老老介護で、大阪に私が40日間いて、介護保険の手続きや老人ホームへの入居を手続きをしました。
徐々に弱ってきたので、訪問医の先生から、どのような介護・看取りをしたいですかという問い合わせが私あてに来ました。
「ともかく痛みは取ってください。中途半端に医療麻薬を使うと返って痛みが増すので、医療麻薬はしっかりと使ってください。無理な延命治療はしないでください。点滴も控えてください。まかり間違っても救急車で病院に運ぶようなことはしないでください」とこのようなお願いをしておきました。
施設の介護士や担当医のお世話の甲斐もあって、穏やかに眠るように最期を迎えたそうです。
これの前の記事で、がん患者の最後を扱った『いのちの波止場』を紹介しましたが、私自身このような事情もあったからです。
しかし死んでからも葬儀だのお墓のことだのお寺さんとの折衝だの煩わしいことが続きます。
正直言って私はお寺さんとのお付き合いは徐々に少なくしていきたいなと思います。
自分が重い描いていたような、理想的な死に方なんてなかなか巡り合わないのかもしれません。
介護保険制度や高額療養費制度があって、癌患者はいかに助かっているか身に染みて感じました。
介護保険制度ができたのが西暦2000年です。
私の親父はその前に肝臓がんで亡くなりました。介護保険制度がなかったからそれはそれは大変でした。やむを得ず私は今で言う介護離職です(当時そのような言葉はありませんでしたが)。
介護して病院にも連れて行き、自分も仕事をしなくてはならない。いつ倒れるのかという思いで頑張っておりました。
それに比べれば、今の介護保険制度は色々と問題もあるとは思いますが、西暦2000年の前に比べれば天国のようなものです。だって施設に預かっていただければ、自分の自由な時間や働く時間が増えます。
老人の医療費が若者への負担を増やしていると反対する意見もありますが、そうではないんです。介護制度で両親の面倒を見ていただくことで子供は思い通りに働くことができ、日本経済のひいては国民総生産の増大に貢献しているのです。