インフルエンザ みんなで罹れば怖くない
昨夜は川崎でのチェロのレッスンでした。駅構内でもマスクをしている人はちらほら程度で、チェロのメンバーは誰もマスクをしていませんでした。他の楽器の教室でもほとんど見かけませんでしたね。
NHKを初めとしたマスコミの大騒ぎは相変わらず続いていますが、少しは報道の論調も変わってきて、「マスクの効果は限定的です」というコメンテーターを登場させるようにもなってきましたから、いくらかは学習したようです。
- インフルエンザウイルス粒子の大きさ A型、B型、C型
直径 0.08-0.12 ミクロン - ウイルスを含む気道からの飛沫物質
5ミクロン以上 - ウイルスを含む気道からの飛沫核物質
0.3ミクロン以上
* 飛沫核物質:ウイルスを含む飛沫粒子が直径2ミクロン以下になると、空気中で水分が蒸発し乾燥縮小した飛沫核になり、長時間空気中に浮遊し、これが吸入される(空気感染と同義語として用いられることが多い)。
各マスクにおける粒子の透過性(従来型ガーゼマスク)
- 不織布製マスク(市販製品の主流):5ミクロン以上の粒子
- N95(医療用):0.3ミクロン以上
- ナノフィルター(市販されている):0.03ミクロン以上の粒子
空気感染を防ぐには、N95の医療用マスクを使わないと、効果はなさそうです。でもこれ付けてられませんよ。
◆マスク着用により想定される効果
以下の留意事項が現実生活で完全に実行することが前提となるが、実際的には不可能と考えられることから、米国では一般市民がインフルエンザ予防のためのマスク着用に関しては否定的である。
・感染者がマスク着用して外出、もしくは他者と相対する場合の効果
感染者の顔や手指、または衣服などにウイルスが付着している可能性がある。
マスクを不用意に着脱することにより、ウイルスは咳やクシャミ、さらに感染者の手指に付着して周辺に拡散する可能性。・非発病者が感染目的にマスクを着用することの効果について
マスク着用時間内だけ、呼吸器にウイルスが侵入することを防止することは可能と考えられるが、接触感染、空気感染を完全に防ぐことは不可能である。十分な手洗い、そしてマスク着脱の際、表面に付着している可能性あるウイルスに汚染しないように注意、そして十分な洗顔、洗髪等と併用して、初めて効果が発揮されると考えられる。
が、こんなことを完全にはできないでしょう、と言っているわけですね。
1 米国医学研究所委員会結論 (The Institute of Medicine) 2006年4月
パンデミックに際してマスクが効果を持つという根拠はない。
マスクを着用する効果を信じて、パンデミックの期間、家庭に留まらず外出する市民が増えることが懸念される。インフルエンザの感染経路は次の3通りである。
- 手を介して感染(接触感染):患者がクシャミをした際、口を手で被って、その手でドアのノブを触る。そこを他人が触れる。
- ウイルスを含んだ飛沫物による感染(飛沫感染):患者がクシャミや咳を直接空間に向かってした場合、ウイルスを含んだ大きな粒子が周辺に飛び散る。
- 微小粒子による感染(飛沫核による感染、空気感染):長時間空中に漂い続ける微小粒子による感染。
これらの3感染経路のどの部分をブロックしたなら、最も効果があるかは誰も分かっていない。
米国CDC
感染者がウイルスを排出する時期は発症1日前から5日までと考えられている。”症状のある人”がマスクを着用することで、地域における感染予防効果が高まるとは考えられない。
その代わり、呼吸器症状のある人が、家庭、学校、職場、または他の公共施設で他の人々に相対する場合、咳やクシャミを呈したとき、ティッシュで顔を覆って、呼吸器からの分泌物が飛沫するのを防ぐことの方が重要。汚染したティッシュは最も近いゴミ捨て容器に捨てられるが、その後、十分な手洗いをすることは必須である。
感染者がウイルスを飛散させる時期は、症状が出る前と考えられるので、症状が出てからマスクをしても遅いでしょ、CDCはこう言っていますが、米国医学研究所委員はさらに、マスクをしたから安全だと考えて家に留まらないで外出する人が増えることも心配しています。マスクを求めて行列する愚は、日本だけのショーのようなものかもしれません。
抗がん剤を投与していたとき、何度か白血球値が下がって点滴できなかったことがありましたが、看護師さんが「このマスクをして帰ってください」と言ってマスクをくれました。しかし、体力の弱ったがん患者ではマスクをして地下鉄の長い階段を上ることができず、息切れがして、マスクはさっさと外してしまいました。
その後も何度は抗がん剤が打てないほど白血球が下がったのですが、マスクをくれたのは最初の一回だけでした。N95マスクなんて、健康な人が座っている分には装着できるのでしょうが、それ以外の場面ではまったく実用的ではないですね。
幸い今回のウイルスはまだ弱毒性ですから、敵が強毒性に変異しないうちに、国民全員がさっさと感染してしまえばよいのです。免疫不全とか重篤な心配疾患のある人をのぞいて、健康な人がみんなこのウイルスに感染すればよいでしょう。2,3日は高熱が出ますが、タフミルも効くようだし、そうすれば免疫ができて二度とこのウイルスには罹らなくなります。半年先のワクチン製造を待つこともないですし、新型ウイルスはありふれたインフルエンザになり果てます。大多数に免疫ができてしまえば、もう感染が拡大することもなく、強毒性に変異する恐れも小さくなります。
こんなことを書くと、「もしその感染で、死んだらどうするんだ」という人が必ず出てきますね。そのときは、「もしかして、ではなく、確実に何人かは死ぬでしょう」と言うしかないです。インフルエンザは年中発生しているのですが、わざわざ遺伝子を分析しての確定診断をしていないだけのことです。そして毎年インフルエンザが原因だと分かった死者だけで700人、もしかしてインフルエンザ、あるいはインフルエンザが引き金になり持病が悪化してとかの死者は、3万人以上だろうと言われています。普通の風邪でもこんなに死者が出ているのです。ニュースにならないからマスコミが報道しないだけです。
こんな馬鹿騒ぎをつづけていて、WHOがもしフェーズ6に引き上げたら、強制的な移動制限が発令されます。電車も運行本数が少なくなり、患者は病院にも行かれないかもしれず、病院に行っても看護師も医者も通勤できず、抗がん剤を休めないがん患者は死の危険と向き合わなければなりません。経済も停滞して、更に失業者が増え、自殺者と犯罪が増加するでしょう。日本はまだ影響が少ないかもしれませんが、発展途上国においては本当に大量の餓死者が出ることになるでしょう。ウイルスによる被害よりもこちらの方が影響が甚大です。
洗足学園は、学内でのウイルス蔓延は心配ないと考えていたのに、地域住民の反発を考慮して休学にしたそうです。「こんな時期にアメリカなんぞに行って・・・」などと言う者が必ずいますからね。いずれはどんなルートでか国内に入ってくるのです。たまたまその学校だったというだけのことです。
感染者を犯罪者のように見なす、日本人の「自分が大事」で「清潔好き」は、これこそが病気に違いないと思うこの頃です。こうした連中に限って自分が感染者になると「医者はいないのか」「早く治療してくれ」とかけずり回ってウイルスをまき散らすのでしょう。いつでも、どんなときでも『自分は被害者』という顔をするヒトって、いますよね。
この記事をアップした後で、藤原新也氏のこんなブログを見つけました。
ニューヨーク在住の知人の話によれば、今回の新型インフルエンザのことを最近は「ジャパンインフルエンザ」という風に呼んでいるそうだ。
ちょうどメキシコでインフルエンザが流行ったとき、日々メディアがメキシコの映像などを報道したように、新型インフルエンザというと現在では町中マスクだらけの絵になる日本の光景が流されるからという。
ということは新型インフルエンザ騒ぎは世界でこの島国日本だけがぽつんと取り残されたようにいまだに大騒ぎをしているということだろう。
この騒ぎが続いているのはひとつには昨今何か事件が起こるとこぞってメディアスクラムを組んで競い合い報道になり、事態が相乗化してしまうメディアの商業
主義、そして先のトークで述べたような過保護と保身が日本に蔓延していることが上げられるが、それより思うところはトップの決断力の脆弱さである。
こういった事態には万が一を考え安全策を取るというのはありがちな話だが、万が一とは世の中のいかなる局面にも存在するわけであり、かりに万が一というリスクに依拠して人が行動すれば安全という絶対善の中で人間とその社会は金縛り状態に陥ってしまう。
今回の出来事はその恰好の見本だろう。要するにこういった事態は万が一というリスクを背負った上でどこかで「足切り」をするというのが現実的な考えかただろう。かりに政治家であれば事態をずるずると引き延ばしたことによって生じる経済的損失と足切りによって生じるリスクを天秤にかけ、冷静な判断の上、責任を負った行動を示すということが国民を引っ張るトップのあり方である。
実際に身近なところでは先のトークでも触れたように数万の金が入らぬため家賃の支払いに困っているという人もいたり、巡り巡って昨今とみに増えている自殺者が今回の経済封鎖に似たことによって数百人は増えている可能性は十分にありうる話だ。ひるがえって新型インフルエンザによって死者が出るとのは現状ではきわめて現実味のない話だ。
私が言わんとしたことを簡潔に表現されていますね。さすがはプロです。しかし、「ジャパン・インフルエンザ」とは言い得て妙ですね。「安全」という「絶対善」を振りかざす人には面と向かって反対できないから困るのです。