池田省三さん、逝く
備中国分寺の五重塔と鯉のぼり:25日はレンタサイクルで吉備路を回りました。天気も良く、さわやかな風と土の香りを受けながらのサイクリングは気分爽快だった。少子化で空高く優々と泳ぐ鯉のぼりも、めっきりと少なくなったなぁ。
東京新聞、中日新聞に「ステージ4 がんと生きる」を連載してきた池田省三さんが4月23日に亡くなられたと報じられています。介護保険の論客として辛口の正論を吐き続けてきた池田さんは、大腸癌のステージ4だと告知されても「人間の致死率は100%。すとんと腑に落ちたから、その夜は熟睡しました」と言ってのけます。
介護について池田さんは、「最近、国がやってくれない、社会がやってくれない、介護保険がやってくれないといった"くれない族"が横行しています。"くれない族"というのは、高齢者の誇りを失わせるのではないかと思っている」と言い切ります。「自分で選択し、自分で責任を取るからこそ、人間の矜持、誇りがある。それを捨てたら、人間お仕舞いです。自助は自助で、互助は互助で、公助は公助でやらなくてはならない。それを全部介護保険に背負わせ、介護保険もブラックホールのように全部受け入れてしまった」ことが介護保険の崩壊を招いているのです。
フランクルがその著作でよく言われる、「人間の実現できる価値には、創造価値、体験価値、態度価値に分けることができる」があります。老いて、あるいは末期がんになって社会的は生産活動には寄与できなくなったとしても、音楽を聞く、絵を描く、仲間と談笑するなどの体験価値は実現できます。しかし多くの介護施設では「安全第一」けがをさせないよう、自分でできることさえ手を取り足を取りで、老人はその脇でボーっとして待っている。体験価値を与えようとはしない。
先日NHKで紹介されていた「夢のみずうみ村」は、介護においても老人の自主性を尊重することがいかに大切か、そうすることで老人が生き生きと生活している様子が紹介されていました。なにしろ施設内の”地域通貨”があって”銀行”まである。ボランティアをすれば通貨がもらえる。その通貨で、施設内で”賭博”までやっている。いちばん生き生きしているそうです。バリアフリーではなく、段差があり、わざわざ階段を上らなければならないように設計されている。
フランクルの「態度価値」について言えば、がん患者が最期を迎えるときになったとしても、そのときにどのような態度を取るかを選択することはできる。池田さんもまさにそれを実践した方でした。
私は、七月の紙面に、末期がんと告知されてからの不思議な体験について書いた。告知を受けて自分の死を意識し、「人間は致死率100%の存在なのだ」と受容した。すると、時間の流れが緩やかになり、それと同時に気分がゆったりとして、穏やかになれた。末期がんを告知された方が、同じような体験をするのか-。そこに、私は強い関心を持っていたが、どうやら仲間は少なくないようだ。
と、少なくない末期がんの方が同じように感じていると、いくつかの手紙を紹介していました。
死ぬときには、”体感時間”がだんだんと長くなっていく。ゼノンの”アキレスとカメ”のパラドックスのように、死の瞬間に近づくに従って、自分の感じる時間は長くなっていくから、いつまで経っても死の瞬間に到達できない。だから本人は「死の瞬間」を知ることができない。前野隆司氏が『「死ぬのが怖い」とはどういうことか 』で同じことを言っていました。
池田省三さんは「がんサポート」誌での鎌田實氏との対談で、「私はターミナル(死)は開放されることだ」と思っていると言い、「最後の最後に、ケアから解放されて、それを突き抜ける。それがターミナルだと、私は思っている。」と、「死」に対する”態度価値”を話しています。そして、
1つだけ、夢があるんです。ケアから解放されて自由になったとき、私は臨死体験をする。きれいなお花畑で、父と母が迎えてくれる。至福の一瞬でしょうね。そして私は消え、至福の瞬間は永遠になる・・・・。
人間は、いずれ”何か”が原因で死ななければならないのだから、ある程度余命が分かり、死の食前まで意識がはっきりしている癌は、決して悪い”何か”ではない、と私も池田さんと同様に考えている。
自転車を漕いだのは何年ぶりだろうか。歩行は鍛えているはずなのだが、歩くときとは使う筋肉が違うようで、まだ足腰が痛い。