ご冥福を祈ります。
川島なお美さんが亡くなったニュースに少々驚きました。つい一週間ほど前に半年ぶりにマスコミに登場して「治療に専念します」と記者会見したばかりでした。がんの最期はこうして短い時間で、あっという間に他界する例が多いですね。何年も寝たきりで介護を受けるよりはましという考えもあります。私もそう思う。「どうせ、何かの原因で死ぬのなら、がんがいい」。ピンピンコロリでは死への準備もできませんから。
ご冥福をお祈りいたします。
しかし、マスコミの騒ぎようは異常だね。NHKですら7時のニュースの確か2番目だったような。芸能人の闘病ネタ、特にがんとの壮絶な闘いで、悲劇的な最後というのが視聴率を稼げるのだろう。主人公が死ななければ闘病記も売れない。
1年9カ月にわたった闘病生活は、抗がん剤治療ではなく、民間療法を選択。免疫力を向上させる食事療法などを取り入れた。その理由を「抗がん剤の副作用でステージに立てなくなる可能性があるなら、私は最後まで女優として舞台に立ち続けたい」と周囲に明かしていた。発表会での凄絶(せいぜつ)な姿も、女優として人生を全うする覚悟の表れだった。
という報道に対して、著名な腫瘍内科医の先生が、
「抗がん剤の副作用でステージに立てなくなる可能性があるなら、私は最後まで女優として舞台に立ち続けたい」というのは、抗がん剤に対する誤解ですので残念です。
進行胆道がんの現在の標準治療は、シスプラチン+ゲムシタビンです。シスプラチンも外来で治療可能な時代になりました。この治療でうまく生活の質を保ちながら、共存できている患者さんもいらっしゃいます。また、経口薬のTS1も選択肢になります。
とツイートしてます。言ってることは正論だけど、通院での抗がん剤投与がほとんどになったいま、自宅での患者がどれほど副作用で辛い思いをしているのか、病院での患者しか見ていない腫瘍内科医の先生には分かっていないのではなかろうか。生活の質(QOL)を保てたからって、台詞を覚えて体力の要る舞台をこなせるまでになるとは限らないから、彼女は選択しなかったのだろう。
数ヶ月程度の延命効果と生活の質(QOL)を天秤にかけて、抗がん剤を拒否したのであれば、それは患者の自己決定権であって、腫瘍内科医が文句を言う筋合いではないだろう。
この先生は、アピタル夜間学校で、延命効果が1.8ヶ月の大腸がんのTAS102を「先生だったらやりますか?」という質問に対し、「私は音楽が趣味でCDを出すのが夢なので、指や声に副作用がなければ”やるかもしれない”ですね。人それぞれです」と言っているのです。
抗がん剤をやらなかったから、最期に苦しまないであっという間に逝くことができたという見方もあると思う。その意味では、毒にも薬にもならない「民間療法」を選んだ彼女の判断は良かったのかも知れない。結局、その是非は誰にも分かりません。
のっぽ先生。お久しぶりです。
先生も頑張っていますね。いつも拝見しています。
日光浴も「がんに効く」のでしょうね。
最近EBM至上主義とも言うべき発言が多くて、違和感があります。EBMの大切さはよく分かっているのですが、ではそれだけで臨床の現場が回るのか?
「EBMは確率論が抱える問題を内包しており、個々の患者が個性的であればあるほどevidenceが当てはまる部分は低下していく。このEBMの限界を補完する実践法として注目され始めているのがNBM(Narrative Based Medicine)、すなわち患者の「語り」を通じて患者の信念にアプローチしようという方法である。」
とあるように、NBMも以前から提唱されていますが、あまり浸透しているようではありませんね。
素晴らしい記事ですね。
深く感心しました。
長く生きる事も大事ですが、よく生きる事も大事ですね。
「舞台に立つ事が生きる事」ならば、標準的な投与量での抗癌剤治療は、どうかな、と私も思います。(私は、仕事を休んでも、標準的な投与量を継続する事は出来ませんでした。)
QOLを保つ(身の回りの事は、何とか出来る位か)と、舞台に立つの間には、結構、隔たりがある、と思います。
最近は、苦しまずに逝きたい、と思うようになりました。
抗癌剤が、死ぬ間際に苦しんでいる時間を延ばしているのだとすれば(そんな事はないと思いますが)、複雑ですね。