EBMは神話か?
東海大学循環器内科学教授 後藤信哉氏が『EBM神話の終焉とPrecision medicineの裏側』という記事をMedical Tribune誌に載せている。アクセス制限がかかっているが、長尾医師がが皮肉たっぷりにブログに紹介してくださっている。
「EBM神話の終焉」
まことに素晴らしい文章。それを掲載したお薬の宣伝紙も、ある意味凄い。
意味が分かって載せたのか、それとも分からずに載せたのか。
それでも「「EBMを信じるぞ、これが一番」というメデイアの方や一般の方は、拙書「薬のやめどき」で分かり易く解説したので、是非とも立ち読みしてほしい。
タイムリーで素晴らしい考察記事です。 PDFをダウンロード
- ランダム化比較試験(EBM)とは、人体も疾病も複雑過ぎて理解できないので、外部からの介入結果で判断しようという方法論である
- しかし、 EBM の対象は患者集団を構成する平均的患者であり、個別患者ではない
- 薬剤AとB を比較するRCTにおいて 49対 51で薬剤 B の有効性、安全性が統計学的に証明されれば、薬剤 B が次の標準治療となる。 平均的症例に対する標準治療を無限回のRCTで改善するという概念がEBMである
「100人の内51人に効果があれば標準治療になるが、49人ではダメ」は簡潔で分かりやすい比喩です。エビデンスがないことと、効果がないことは違うのです。
しかし、
- 英文で発表されたRCTを重視するEBM思想は、医療の正解は全て論文の中にあるという誤解を招いた
- たとえRCTで優劣を付けられても、その結果を「自の前の患者」に応用できるか否かが不明となった。平均的患者に標準治療を行うべきという考え方自体も揺らぎつつある。個々の患者は均質でなく、高齢化で個人差は拡大するからだ
個別化医療への転換を前にして、RCTの基板の上に構築されたEBMやガイドラインは、どのように変容するのだろうか。
EBMやprecision medicineが解き明かせない部分を重視すること。医師の手が触れることの治療効果や、患者の表情を見ることの診断的意義はデジタル化できない。そうした仕事を大事にして、“病気や患者の分からなさ”と悪戦苦闘することが、マニュアル化の対極にあるのだ。
論理・確率・統計が数学の3要素だが、それを使ったEBMでは、患者の表情を見ることすらできない。