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自分がコントロールできないことには悩まない

著名人ががんを公表するとマスコミが大騒ぎしたり、その患者も心ない言葉に傷ついたりしている。がん患者の気持ちは揺れ動いているのだから、そっとしておいて欲しい。そのような論調もある。

もっともだ。けれど、がん患者ももっと強くならなきゃ。「強く」でもないか。淡々と受け流せば良いのにと思う。

だって、二人に一人ががんになる時代ですよ。健康な人の周りにはたくさんのがん患者がいる。彼らだって、たくさんのがん患者に、いちいち気を遣ってられないんじゃなかろうか。そう思う。めずらしくもないのだし。結局、いやな言葉を投げつける人は、なくなりません。

治らないがんになったら、まずは「死ぬ覚悟をする」こと。それが出発点だ。その上で希望を持って、自分にできることをする。必ず勝つ方法なんてないのだから、結果は受入れる。

最悪を想定して、最善を尽くす。自分の選んだ結果には責任を持つ。

そんな覚悟ができていれば、回りの人が吐く言葉にいちいち反応する必要もないと分かる。彼らがどのような言葉を吐くかは、私にはコントロールできない。できるのは、その言葉に対し、自分がどのように反応するかでしょ。

別段、私が強いわけでもない。そんなことにかまっている暇はないよってこと。

超音波検査で膵管の拡張が見つかってから、手術日を決めるまでが48時間だったことは以前に書いた。

私は選択肢のない問題には、あれこれと悩んだりはしない。この時点ではまさに「手術ができなければ、確実に死ぬ」ことが分かっており、先生が「なんとか手術できそう」と言うのだから、初診で「お願いします」と即座に返答した。

がんが治るか治らないかなんてことも、人間の力の及ばない領域である。及ばない領域のことを考えて、堂々巡りしているのが多くの迷えるがん患者だろう。

自分に今できることを継続して実行する。歩くこと、瞑想など、こんなことをやっていてがんが治るのかと焦る気持ちを押させて、たゆまずに実行する。運が良ければ良い結果がついてくる。でも、必ず効果があるとは言えない。

必ず効果のある方法を探していると(そのようなものはないのだし)、結局効果の不明なことばかりをやっていることなりかねない。

まったく逆のことが起きているのが政治の分野だ。「どうせ、私なんかが意見を言ったって、今の政治は変わりはしないよ」なんて、したり顔で仰るが、政治は市民が「コントロール」できる範囲でしょ。「どうせ・・・」なんていう市民が多いから、目も当てられないような大臣や無能な政治家に「コントロールされている」わけだ。

すぐに目に見えるものにしか関心がないというのは、これまでの教育の悪しき結果なんだろうな。大学への合格率だの就職率だのという「目に見える」結果を重視して、「社会を構成する市民の役割は」とか、「共同体の一構成員としてあなたは何を担うのか」、「人としてどう生きるべきか」等という命題は「ダサイ」と切り捨ててきたのだから、当然の結果ですな。


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