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『モモ』で考える、時間と死

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「タオ」を感じるようなきれいな夕焼け


今日は明日の準備期間ではない

瞑想の基礎は、空気が鼻から出入りすることだけに心を集中することだと言われているのでそうするのだが、数分も経たないうちに心があれこれの思いに囚われて駆け巡っている。「何も考えない」ことは難しいと言うべきか、不可能に近い(凡人の私には)。

明日の予定とか、過ぎ去ったことを反芻していることが多い。過去を反省して、失敗を明日に生かすことは、人間だけに与えられた能力には違いないが、四六時中そのことだけで頭が占領されているのはよろしくない。というか、人生の時間の無駄である。

がんの再発を恐れて心配することも、やりすぎるなら、おなじように無駄なことです。

今日は明日の準備期間であり、「明日の幸福」という観念的な目標のための手段となり、そのためだけにあらゆる時間が費やされていく。

明日のテストで良い成績を取るために→良い学校に合格する→良い会社に→出世して良い待遇に→老後を安心して過ごすために・・・・・・。結局、手段→手段→手段→手段→・・・の際限なき連続が、全人生を覆い尽くすことになる。

そうして自分の時間というものを見失ってしまう

「生きる時間」は時計で測れない

モモ (岩波少年文庫(127))

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ミヒャエル・エンデ
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ミヒャエル・エンデの『モモ』は、灰色の男たち=時間どろぼうを登場させることによって、時間の節約=効率主義が、人々から人生のゆとりと生き甲斐を奪うということを、ファンタジーの形式で語っている。

「生きる時間」と「時計で計られる時間」は別物である。

「余命3ヶ月」は「時計で計られる時間」であり、生きる時間を、生き生きと生きるだけが大事なのであり、そのように生きたとき、時計で計られた「余命」には意味がない。

『モモ』に登場するマイスター・ホラ(horaはラテン語で「時間」のこと)の言葉を借りれば、「人間には時間を感じとるために心というものがある。その心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じだ」。

生き生きと「生きる時間」は物理的時間の制約を超えることができるのである。

しかし、いずれ遅かれ早かれ誰にでも「死」がやってくる。

モモが、「心臓が止まったら時間はどうなるの?」と訊いたとき、マイスター・ホラは、

そのときは、おまえの時間もおしまいになる。あるいは、こういうふうに言えるかもしれないね。おまえじしんは、おまえの生きた昼夜と年月すべての時間をさかのぼっていく、と。人生を逆に戻っていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門に最後はたどりつく。そしてその門をこんどはまた出て行くのだ。

と答える。

「死」を考えることに意味はない

時間は存在しない。実在するのは生だけである。

時間は存在しない

時間は存在しない

カルロ・ロヴェッリ
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「ビッグ・バンのその前はどうなっているの?」という疑問は、時間も空間も物質もなかったビッグ・バンの前に対しては意味をなさない。「宇宙の果てのその先は?」という疑問も同じである。空間の果ての先の空間を考えることなどはできない。

同じように、生の外側=死を考えることにも意味はない。生まれる前、未生(みしょう)の状態から、偶然わずかの生を与えられ、そしてもとの未生の状態に還っていくだけのことなのだ。

だから、「だた、今、ここに」ある生を、生き生きと生きることだけが大事なことなのです。

モモは、

生き生きと生きる時間とは、人の話に耳を傾け、人の世話をし、人とともに楽しく生きる時間なのです。

と言ってくれる。


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