「百万回の永訣」を見て

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ビデオを何度も中断して、やっと見終わった。
やはり何か違うな、との思いで、見続けるのが苦痛だった。いったい、このドキュメンタリーは何を伝えたいのだろうか。そこがよく分からなかった。番組だけを見ていると、余命半年、長ければ2年と告げられた一人の女性がん患者が、全国の著名ながん専門医を探して、自分に合った医療を求め続けた結果、2年以上生存した。探求心と、運命に立ち向かう勇気をたたえた番組のように見える。

京都の南禅寺を舞台にしたハイビジョンの映像は美しい。治療法に悩みながらも、大樹に頬を寄せて自然とコンタクトをとる彼女の姿は崇高である。しかし、現代医療に批判的だった『がん患者学』が脳裏にあるためか、「再発したがんには治癒はありえない」と理解しているはずの彼女が、手術、抗がん剤に一直線に突き進んでいく姿に、哀れみすら感じた。著名な医師たちに相談できるという特権を持った彼女の闘病記は、私には役にたたないと思った。

「友人として願う。医師たちのいうなりにはならないで欲しい」と忠告する近藤誠氏の、放射線治療の提案を拒否して手術に掛ける彼女は、

安らかに死にたい
あわよくば治りたい

とかつて書いた「あわよくば治りたい」の方に必死で掛けている。その手術が失敗だった知ると、強く手術を勧めた姉を非難しようとする。こうしたことは番組では明らかにされない。

しかし、ビデオを見終わって時間が経つにつれて、私の考えが変わってきた。やはり彼女も普通の人間であり、治りたいがん患者である。今日決心したことが明日には変わっても当然だと思うようになった。

わたしは常に、治る、治るため、という言葉を使うことを注意深く避けてきた。治れば勝ち、死ねば負け、という狭い価値観にがん患者として生きるわたしを閉じこめたくはない、と語ってきた。
がんを知り、生き、死ぬことはもっと深く、広く、豊かなはず、と書いてきた。
治るためにあらゆる療法を組み合わせているわたしはどこかおかしいのではないか!志を逸脱した、誤った道を走りだしているのではないか?
—————————
がんにおいて正しい治療法はない、標準治療はあっても、わたしにとって正しい治療とは限らない、と経験的に知っているからだ。
だが、患者仲間にそれを語っても、理解してはもらえない。彼らは多くの医師を知るわたしの特権を羨み、特効薬について知りたいと訴える。わたしは何も知らない自分に忠実に、愚かなほどにただ歩いただけだ。

ここには彼女の深い苦悩が表現されている。がん患者なんだから、ドクターショッピングができる立場を利用して、悩んでうろうろしてもあたりまえだ。

公式ホームページ「南禅寺だより」がまだ健在である。それによると、2008年3月2日に永眠した柳原和子さんの最後は、

「あぁ。木に出会いたい。海に出会いたい。光を浴びたい。自然を取り戻したい。贅沢な希望」  2月初めのこれが最後の文章。日曜の朝、家族や仲間が目を離したわずかな間に、自分でその時を選んだかのように静かに逝った。笑顔だった。
—————————————–
旅立ちの朝は、病室の窓辺に置いた鳥かごで文鳥が歌を添えた。東京都内の緩和ケア病棟。姉と2人の友人にみとられて、安らかな最期だった。

・・・そうだ。かつて入院を拒否された聖路加病院のホスピス病棟での最期だった。亡くなる前年の秋には「安寧に暮らしたい」とすべての治療をやめたそうである。最後は『がん患者学』の柳原和子であった。

彼女は恋多き女性であり、いつも誰かに恋して、惚れていた。作品にもその一端が赤裸々に書かれているが、追悼文集には妻子ある男性にも恋して、分かれてなどが紹介されている。彼女はこうも書いている。

そして、あるとき・・・了解する。
これは恋、愛の営みに似ている、と。
治療法を探る、という行為を通じて浮遊する魂のよりどころ、おさまりどころを、探しているのだ、と。
当然のことだが、その恋は成就しない。
永遠に、片思いである。
恋や人生に処方箋がないのと似て、がんにも処方箋はない。

このビデオにも、彼女の作品の中にも、がん患者の悩みを解決してくれる確かな処方箋はない。柳原和子は、彼女自身が抱える問題を、彼女なりに追求し、追いかける。しかし、いつも答えはするりと手からすり抜けていく。愚かさも、悩みも、身勝手も、迷いも含めて、自分に忠実に生きたのである。番組で伝えたかったのは、この一事かもしれない。

がんの治療法に正解はない。がんも、がんを宿している人間も、それぞれ違う特性を持っている。だから、同じ原因からでも、まったく違った結果が生じる。せいぜい統計的・確率的な予測にならざるを得ない。そのゆえに、がんとの戦い方にも正解はあり得ない。彼女のとった処方箋が正解だったのかは、だれにも分からない。言えるのは、柳原和子は”完全燃焼した”ということだけだ。


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「百万回の永訣」を見て” に対して3件のコメントがあります。

  1. ヤシロ より:

    今、コメントを読み返してみたら「(それも比較的若くない)」と書くはずだったのに、逆を書いてました。
    若い人が癌にかかれば、治療に邁進するのは致し方ないことだと思います。
    しかし、治療に渾身の力を込める人生で後悔はないのだろうか、とも思います。
    死をも含めて自らの人生であるということが母の膵臓癌で少しだけ見えたような気がします。
    もし、多少含蓄のある言葉出てくるようになったのだとすれば、それは癌のおかげで人生の振り幅が少し増えたからだと思います。
    立ち位置は変わらず、振り幅はその時々で増減するようなイメージで生きてます。
    昔、「悟ると言うのは非日常的な体験をしても日常に戻れること。平常心でいられること」と言われ、その時はさっぱり理解出来なかったのですが、今は端っこくらいは掴めそうな気がします。

  2. キノシタ より:

    ヤシロさん。
    「一周して同じ場所に立ったら、見える風景が違っていた」との、先のコメントも含蓄があり、がん患者ならみんな同じ思いなのでしょう。あたりまえのことができる幸せ、吉村昭は「目覚めたとき痛みのないのが幸せだ」と言いいましたが、今日一日をあたりまえに生きることができたらそれで満足、そんな心境に立ち返るのかもしれません。どこかの時点で死を納得することも必要でしょうね。
    がんも人それぞれ、死への対処法も人それぞれ。それで良いのかもしれません。

  3. ヤシロ より:

    本人あるいは身内(それも比較的若い)が癌にかかったことのない人を対象にした番組なのかしら…?などと最初は思ってしまいました。
    でも、揺れ動く気持ちこそが患者であり、家族の思いなんですよね。
    今日死んでもいいと思いながら明日も生きていたいと思う、というのが本音だと思います。

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