親鸞は桂枝雀だ

低線量被曝のモラル
低線量被曝のモラル』という本が2月に出版されている。東京大学での討論にいくつかの論文を付け加えたものだ。もちろん福島原発事故による低線量被曝をどのように考えるのかという論考を集めたもの。この中で中川恵一氏は島薗進、影浦峡氏らに反論されて、まともな論陣を張ることができなくて、たじたじになっている。この共著者の中に伊東乾氏がいる。

伊東乾氏は、低線量被曝の問題に、量子力学における不確定性原理の矛盾を突いたシュレーディンガーの猫と、『ふしぎの国のアリス』のチェシャー猫を組み合わせて論考している。その内容はいずれ紹介することにする(つもり)。で、この伊東乾氏は何者かと調べてみたImageyositakapc010
ら、一時期「題名のない音楽会」のディレクターをしたり、つまり指揮者でもあり作曲家でもある。もともとは物理学を学んでいる・・・らしい。先月24日の「題名のない音楽会」は、日本人で始めてロストロポーヴィチ国際チェロコンクールで優勝した宮田大が、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」を弾いていた。いや~、いい演奏だった。

笑う親鸞 ---楽しい念仏、歌う説教
話が脱線したのでもどるが、伊東乾氏の『さよなら、サイレント・ネイビー』は私も読んだ。地下鉄サリン事件の実行犯となった同級生のことを書いたものだ。読んだがあまり同感はできなかった。ともかく多彩な才能のある方だ。この伊藤乾氏が『笑う親鸞 —楽しい念仏、歌う説教』を出版している! となると放っておくわけにはいかない。

今年に入ってから、親鸞に関する書籍をいくつか開いてみた。『現代語 歎異抄 いま、親鸞に聞く』東大話法の安冨歩氏の『今を生きる親鸞』、田口ランディらの『親鸞 いまを生きる (朝日新書)
』『ほっとする親鸞聖人のことば』。他にも吉川英治と五木寛之の小説『親鸞』、マルクス主義哲学者の林田茂雄による『たくましき親鸞-共産主義者による再発見』などなど、私の書棚にも20冊くらいの親鸞に関する本があって自分でも驚いた。しかし、どうも親鸞の具体的人物像が浮かばない。

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伊藤乾氏は、小沢昭一さんのビデオの中に「節談説教(ふしだんせっきょう)」という不思議なものを見つけてしまった。ビデオでは坊さんが歎異抄の一節を厳かに歌い語り始めた。と見る間に、落語家桂枝雀のように、高座で飛び跳ねだした。目の前のおばあさんに向かってギャグを連発する。とつぜん人情噺になり、ほろりとさせておいて、歎異抄や教行信証の総序を歌うご讃題とつなげてゆく。

このようにして親鸞は「笑いの元祖」であったという伊藤乾の仮説が提示されていくのだが、この節談説教こそが、落語・講談・浪花節、あらゆる寄席芸の大本であった。

ホワイトボードもPowerPointもない時代に、話だけで聴衆を魅了するには、何らかの仕掛けがいるだろう。それが話芸であり、寺院の建築構造だった。お寺は床下に「魂柱」を入れ、ヴァイオリンやチェロと同じ構造で音が共鳴するようになっていた。その高座で親鸞もきっと笑いながら飛び跳ねていたのではなかろうか、と考えると歎異抄にも親近感が湧く。浄土和讃の中の「宮商和して自然なり」をとりあげて、雅楽の音階である「宮商角微羽の5音」があるのは、親鸞が雅楽の楽器である笙の名手だったかもしれない、少なくとも笙について造詣が深かったはずだという説もおもしろい。

悪人正機説  善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

がん患者はみんな治りたいと思っている。他人はともかく、自分には奇跡が起きて欲しいと願っている。お坊さんも、自分とこの報恩講だけは雨が降りませんように、と願っている。これが「罪悪深重」だ。人間は存在すること自体が罪悪を積み重ねているのである。それをありのまま抱きしめて救ってくださるのが阿弥陀仏である。他人は治らなくても良いが、自分だけは治りたいという、欲深い我々が「悪人」なのであり、その悪人でさえも救われる、それで良いのだと親鸞は教えるのです。

親鸞が笑いながら、飛び跳ねながら説教したのだと想像するのも楽しい。


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