久しぶりの休肝日
暑いですね。今日は更に蒸し暑い。暑さに慣れてきたのではないかと、今週からはまた朝夕の通勤を徒歩で再開しているのだが、昨日は気分が悪くなった。歳も考えずに無理をしたのかもしれない。で、昨夜は晩酌の焼酎を止めて休肝日にした。術後しばらくは酒も旨くなかったが、その後は、2回の腸閉塞での入院期間を除いて1日も休まず飲んでいる。昨年の10月に腸閉塞で入院したとき以来の休肝日だ。疲れやすいのは総ビリルビンが少し上がっているから肝機能に異変の兆候があるのかも。先週採血して検査は依頼してある。
「しばらくは晩酌は週に1回にする」と宣言したが、家族の誰も信用してくれない。もちろん私も守れるとは思っていない。今夜はチェロのレッスンでヴィヴァルディのチェロソナタ第五番「アンダンテ」だ。ヴィヴァルディ-ボーイングをうまく弾くには、少し飲んだ方が「脱力」ができるし弦もよく走るのだと、今から飲む理由を探している。
こちらでも書いたが、甑島の「六代目百合」が旨すぎるのだよね。25度と35度があるが、私は35度だな。ラベルに書かれた李白の漢詩「将進酒」もぴったり。「酒のシミズヤ」が一番安いね。
人生得意須尽歡 人生意を得れば すべからく歓を尽くすべし
古來聖賢皆寂寞 古来 聖賢は皆寂寞(せきばく)
惟有飮者留其名 惟(た)だ飮者のみ 其の名を留むる有り
呼兒將出換美酒 児を呼び将き出だして 美酒に換えしめ
與爾同銷萬古愁 なんじとともに銷(け)さん 万古の愁いを
休肝日も久しぶりだが、本を読んで涙が出るほど笑ったのも久しぶりだ。鎌田實さんの『大・大往生』である。まじめ?に、ユーモアたっぷりと「死」を語った本で、自分らしく死ぬための準備をしなさい。エンディングノートも自己流で良いから書いておきなさい、鎌田さんのエンディングノートも公開されている。
末期の膵臓がんの男性が、最後に湯布院に行きたいとの希望を叶えようと、医者と看護師が計画を立てる話。その旅立ちの予定の日に、容体が急変してあの世に旅立ったのだが、湯布院で着るはずだった和服を看護師たちが着せてあげた。なんだか『神様のカルテ』に出てきた話とそっくりだ。主人公の栗原一止が勤める本庄病院は、松本市の相澤病院がモデルだそうだから、茅野市にある鎌田医師の諏訪中央病院とは違う。
息子にも先立たれたおばあさん、困難な人生を歩んできたこの方が末期がんで、車山に一面に咲いているはずのニッコウキスゲを見に行ったが、三輪しか咲いてなかった。でもおばあさんは「先生、もう十分なの」と、末期がんと死を受入れて、車山のきれいな青空を写した写真を見ながら静かに旅立っていった。このような話が続くのだが、永六輔さんと鎌田さんが福島に講演のボランディアに行ったときの話が、テンポのよい書き方もあって、泣くほど笑えた。
(大腿部を骨折した永六輔さんが福島に行くのは)
無理だろうな、とあきらめていた。
予想に反して、永さんは行く気マンマン。
約束は守りたいという。約束を守るというのは、永さんの生き方である。車椅子の永さんを家族が運転する車に乗せ、内藤先生がエスコートするというのである。当日、本当に永さんがやってきた。講演会のタイトルは「『まけない福島!」講演会~みんなでつながって~」である。
車椅子の永さんがまずは「僕は負けない」と言って会場を沸かせる。自分の病気を隠さない。パーキンソン病にも負けない。骨折にも負けない。命がけのギャグにみんな笑った、笑った。
さらに不思議な短いタオルを取りだした。
そのタオルには「まけない」と刺繍がしであった。そして、例の口調で続けた。
「首にも巻けない、手にも巻けない、短すぎてどこにも巻けないんです」
大爆笑である。
つらくて何度も泣き続けてきた人たちが、腹を抱えて笑っていた。
そして決定打が出た。
永さんは、骨折して手術後、リハビリに励んでいた。パーキンソン病の患者さんは、少しうつむき加減に前屈姿勢になる。これが特徴だ。永さんもまた、そういう姿勢になっていて、そこに骨折したので、一段とその傾向が強い。
ある日、リハビリの看護助手に東南アジア出身の女性がついた。彼女が永さんに言った。「この国にはいい歌がありますね。”上を向いて歩こう”です。教えてあげますから、一緒に歌いながら歩きましょう」
彼女はそう言いながら、永さんの顔を上に向けたという。
口ごたえできず、歌いながら外来病棟を歩いた。恥ずかしくて恥ずかしくて・・・・。
いつもの軽妙な語り口。みんな笑いすぎて泣いている。僕もお腹の皮がよじれた。
その後、永さんは退院のときに看護助手に謝った。
「実は”上を向いて歩こう”は僕が作ったんだよ。上を向けなくてごめんね・・・」
すると彼女は「また、永さん、嘘ついて」と、信じる様子はまったくなかったという。
またもや大爆笑。
永さんのこういうところがすごい。自虐ネタでも笑わせる。
永さんが、パーキンソン病になったときも、大腿骨を骨折したときも、その状況がラジオや講演会で語られる。そしてこれを耳にした同じ病気の患者たちが笑って元気になっていくのだ。
そういえば永六輔さんにも『大往生』という著作があった。