日本の医療が崩壊する「静かなる有事」:レアアースよりこちらが問題だ!

「もし、明日から抗菌薬が一切手に入らなくなったら」
そんな想像をしたことはあるでしょうか。
多くの人は「まさかそんなことが起きるはずがない」と一笑に付すかもしれません。しかし、現実は私たちが考えている以上に綱渡りの状態にあります。
この危機感を決定づけたのが、高市総理による「台湾有事」への言及でした。有事の際、サプライチェーンが遮断されるリスクは空論ではなく、いま目の前にある危機として浮上しています。プレジデントオンラインで報じられた「抗菌薬製造にかかる『発酵中間体』の輸入停止」というリスク。これは単なる経済の問題ではなく、日本人の「身体」と命を直接的に脅かす、国家レベルの安全保障上の脆弱性なのです。
なぜ今、私たちがこの問題に危機感を抱かなければならないのか、その本質を整理してまいります。
現代医療の「OS」が消える恐怖
抗菌薬(抗生物質)は、現代医療における「OS(基本ソフト)」のような存在といえます。
癌の治療、心臓の手術、臓器移植、さらには日々の透析に至るまで、あらゆる高度医療は「感染症を防げる」という前提の上に成り立っているからです。
もし抗菌薬がなくなれば、手術後の感染を防ぐことができず、救えるはずの命が失われてしまいます。かつては、小さな傷口から細菌が入り込み、敗血症となって命を落とすことが珍しくありませんでした。抗菌薬の輸入が止まるということは、私たちの「身体」が、わずか100年ほど前の「感染症に無力だった時代」へと強制的に引き戻されることを意味します。
レアアースよりも深刻な「命の安全保障」
マスコミでは、中国によるレアアースの輸出制限の可能性が話題となっています。しかし、抗菌薬の供給停止は、レアアースショックよりも比較にならないほど深刻な事態を招きます。
レアアースがなければスマートフォンや電気自動車が作れなくなりますが、それによって即座に人が死ぬわけではありません。対して、抗菌薬の欠乏は、今日明日にでも治療が必要な患者の命を直撃します。産業のコメがレアアースなら、抗菌薬は「命のコメ」そのものです。
「代替品がない」「供給が止まれば死者が出る」という点で、発酵中間体の依存は、いかなる戦略物資よりも優先して解決すべき最重要課題となっております。
「発酵中間体」という喉元を握られている現状
現在、日本の抗菌薬製造における最大の問題は、完成品だけでなく、その原料となる「発酵中間体」をほぼ100%中国などの海外に依存している点にあります。
「中間体」とは、薬の有効成分を作るための土台となる物質です。
抗菌薬の多くは微生物の発酵プロセスを経て作られますが、この工程には巨大な設備と膨大な電力、そして厳格な環境対策が欠かせません。日本国内ではコスト競争に敗れ、これらの設備は次々と姿を消してしまいました。
たとえ国内に製薬工場が残っていたとしても、その「種」となる中間体が届かなければ、一錠の薬も作ることはできません。水道の蛇口を他国に握られているようなものであり、地政学的なリスクやパンデミックによる物流停止が起きれば、日本の医療供給体制は一瞬で崩壊する脆さを抱えているのです。
「安さ」を追い求めた代償
なぜ、これほどまでに危険な状況を放置してきたのでしょうか。
その背景には、長年にわたる医療費抑制政策と、行き過ぎた効率主義が存在しています。
薬価制度によって抗菌薬の価格は極めて低く抑えられてきました。メーカーにとっては、作れば作るほど赤字になるような状況が続き、安価な海外原料に頼らざるを得なかった背景があります。私たちは「安い薬」という恩恵を享受してきた一方で、その裏にある「供給の安定性」という最も重要な価値を切り捨ててきたと言えるでしょう。
しかし、命に関わる物資において「安さ」だけを基準にするのは、あまりに危険な賭けです。私たちの健やかな「身体」を維持するためのコストを、誰が負担すべきなのか。今こそ真剣に議論しなければなりません。
国家安全保障としての「国内製造」
記事でも強調されている通り、今、政府主導で抗菌薬の国内自給率を上げる試みが始まっています。
これには、単なる民間企業の努力だけでは限界があります。国が補助金を出し、戦略物資として発酵中間体の製造拠点を国内に維持・復活させることが不可欠です。
これは「経済対策」ではなく「防衛策」と捉えるべきでしょう。
戦車や戦闘機を備えることと同じように、国民の「身体」を細菌の脅威から守るための「薬の盾」を国内に持つことは、国家の存立に関わる課題なのです。
まとめ
抗菌薬が消える日は、日本の医療が死を迎える日です。
「発酵中間体」という、目に見えにくい、しかし決定的に重要な生命線を海外に委ね続けることは、もはや許容できるリスクではありません。
こうした事態を眼の前にしても、高市総理は自分の発言を修正する意思がないのでしょうか。
国、企業、そして国民が一体となって、この「静かなる有事」に立ち向かわなければなりません。健康な「身体」で明日を迎えられるという当たり前の日常を、次世代に引き継ぐために。









