今日の一冊(80)『医療者が語る答えなき世界』

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著者の磯野真穂氏は文化人類学者である。文化人類学と聞けば、アフリカの奥地の「未開の人々」の生活を研究する学問と受け取る向きが多いが、彼女のフィールドは医療現場である。

日常生活ではあり得ないような医療現場での人々の行動を、文化人類学の視点から眺めていて、これまでの医療現場研究本とは一線を画する内容となっている。

医療者の側から、医療者の肩越しに介護や理学療法士、漢方の問題を取りあげているが、エビデンスに関する考察も文化人類学の視点から追求されている。

エビデンスはあるが、効果は実感できない薬

「血液をサラサラにする薬」と説明される抗血栓薬は、これまで臨床で広く使われてきたのはワルファリンである。しかし、この薬には予期せぬ大出血という問題があった。対象者が高齢者である場合が多く、薬の容量調整には繊細な医師の技量が問われた。

2011年に、定期的な血液検査も、食事制限もいらず、その上ワルファリンより脳出血の可能性が低いという、夢のような薬が日本で発売解禁となった。

薬の名はダビガトラン(商品名:プラザキサ)。DOAC(直接経口凝固薬)と呼ばれる。ダビガトランの有効性を世界に知らしめたのは、権威ある医学雑誌New England Journal of Medicine(NEJM)に2009年に掲載された論文である。この論文で行われた調査はRE‐LY試験と呼ばれ、四四カ国九五一施設、一万八一一三人の心房細動患者が対象になった大規模臨床試験である。

RE‐LY試験が人々を驚かせたのは、脳卒中・全身性塞栓症に対するダビガトランの有効性よりも、ワルファリンと比べた時の脳出血の発現率であった。なぜならその発現率は薬を飲んでいない心房細動患者の脳出血発現率(0.2~0.3%/年)とほぼ同じだったのである。

しかしその期待は発売から半年で打ち砕かれることになる。製薬会社からの緊急安全性速報で、81例の重篤な出血が報告されたのである。その中にはダビガトランとの因果関係が否定できない5つの死亡例が含まれていた。

また、ダビガトランの発売を機に改訂された「心房細動治療(薬物)ガイドライン(2013年改定)」を作成した委員の11名全員が、ダビガトラン他三種の薬剤の総称であるDOACの製造・販売企業五社から総額で1億1400万円余を受け取っており、その中の一人は2000万円を超える金銭を授受していたことも明らかになった。

先日も抗がん剤での「研究不正」が報じられた。

中外製薬の抗がん剤「カペシタビン」(商品名ゼローダ)の効果を巡る研究―。第三者の研究機関が独自に試験を遂行したように装い、実際の効果が不確定なまま、あたかも効果てきめんの如く謳って売りさばく

「エビデンスに基づく医療」への不信が広がっている。

大鵬は2011年4月に医師主導臨床試験である「POTENT試験」を立ち上げて反攻に打って出た。HER2陰性の乳がん患者を対象に、抗女性ホルモン剤にTS-1を追加した場合の効果を評価した。この試験は現在進行中だが、なんと、こちらの主任研究者も中外のカペシタビンと同じ戸井氏である。

と、膵臓がん患者に身近なTS-1に関しても利益相反の疑いが指摘されている。

話しをダビガトランに戻すが、

RE‐LY試験の対象者は、18,113名の心房細動患者である。うち頭蓋内出血が見られたのは154例であり、そのうちワルファリンを飲んでいた群が90例、ダビガトラン300㎎を飲んでいた群が37例、ダビガトラン220㎎を飲んでいた群が27例である。これをパーセンテージに換算すると発生率は、それぞれ0.76%、0.31%、0.23%、つまり1000人に換算すると、1000人中7.6人、3.1人、2.3人という計算になる。

1000人中で7.6人と3.1人では、現場の実臨床で効果を実感することは難しいし、そういうエビデンスがあるから、自分の臨床もそうなのだと信じる以外にない。患者も、ワルファリンからダビガトランに薬を変えたことで得られるエビデンスの上の効果を自分で実感することは不可能である。

効果は実感できるが、エビデンスがない漢方

「漢方は非常に優しくてよく効くよ。その代わりエビデンスがないじゃないか」と当時二人でよく話しました、と語るのは三田病院院長の北島政樹氏である。

漢方は「証」の考えに基づく個の医学であり、「証」が異なれば、同じ症状でも処方が異なり、同じ漢方薬を服用しても効果が異なることがある。患者の主観的な不調や身体状態を、漢方医が腹診や脈診、舌診という検査法で診察が進められる。

つまり、患者を同一の特性を持った一定の集団ととらえ、現象をすべて血液検査や血圧などの数値に置き換え、統計的に結果を処理することを前提とするEBMとはあまり相性がよくないのである。

「あなたの病は仕方がない」と言われた鈴木さん。西洋医学の診断では、膝の痛みは「仕方のないもの」と判断された。しかし立って歩けないほどの痛みを抱える鈴木さんにとって、その痛みは「仕方のない」ものでも「うまく付き合える」ものでもなかった。ひるがえって漢方は、鈴木さんの病いを「仕方のないもの」としては扱わず、「対処しうるもの」として扱い、現実にも煎じ薬によって鈴木さんの膝痛は改善した。またそれだけでなく、身体が温かくなったり、風邪をひきにくくなったりといった副次的効果も表れ、鈴木さんの漢方薬への信頼につながっている。

患者は効果を実感しているのであるが、その一方で漢方においてもエビデンスを求める動きが盛んである。これについて、著者は

漢方外来で働く医師、看護師、そして患者が漢方を使いたいと思うのは、漢方が科学的に立証されているからではない。そうではなく、西洋医学では手が届かない身体の不調に対応できるからである。西洋医学を推進する人々が漢方を批判し、それを受けて漢方医が自身の医学に科学性を求めようとしてきた歴史とは正反対の流れが臨床には存在する。

漢方外来を訪れる患者は西洋医学で効果を感じられなかったからこそ、人は漢方外来を訪れる。それにもかかわらず、患者に益をもたらさなかった科学の言葉で自らの正しさを説明する必要性が皮肉にも漢方医学には課せられているのである。

と疑問を呈する。

答えなき医療

患者は医療に「治す」ことを期待している。しかし「治らない」病気のときにはせめて見放さないことを求めているのである。腫瘍内科医の佐々木医師は、末期のがん患者とのかかわりにおいて、

たとえ完治が見込めなくとも、症状を取るための治療を続けるという形で、自分たち医療者がこれからも関わり続けることを、患者に伝えることである。多くの末期がんの患者は、自分たちが末期であることで、今までの病院から見放されてしまうことをもっとも恐れている。関係があり続けるということが彼らにとっての希望となるのだ。

という考えで患者と接している。あるいは、医学的には抗がん剤が最良の選択肢であったとしても、患者が抗がん剤に拒否感を持つなら、

医学的には治す方法が明確であっても、患者の準備が整っていない場合、それは治療ではなく侵襲になってしまう。「治す」にすぐに踏み切らないことが、「治す」ための地平を開くのだ。

と、無理な治療は治療ではなく侵襲であるという。

私たちはエビデンスによる治療の標準化の恩恵を受けている。人間に対してある程度の標準化は可能であり、統計学を使って効果のあるなしを判定することができる。しかし、もちろん人間は部品の集合体ではない。鼻の形が違うように臓器の形も特性も、がん細胞の遺伝子変異も異なっている。患者にはそれぞれの人生の歴史があり、なじんできた生き方がある。その生き方まで標準化することはできない。

正しい医学的知識をかれらに教えたり、かれらの身体をモノとみなして介入すれば解決する問題ではない。むしろそこで重要になるのは、医学を目の前の患者にインストールすることではなく、標準化が不可能なそれぞれの患者の人生の文脈に、医学という知をどう混ぜ合わせていくか、医療者の持つ専門知と患者の人生の間にどのような再現性のない知を立ち上げ、実践し続けていくかである。

医療者の仕事の根幹は、モノとしての人間を徹底的に標準化することで体系づけられた医学という知を、それぞれの患者の人生にもっとも望ましい形でつなぎ合わせ、オーダーメイドの新しい知を患者と共に作り出していくことにある。そこで作り上げられる知は、標準化されることもなければ、再現されることもないが、人間の営みが本来そのような再現性のないものである以上、医療という知もまた再現性のなさをはらむ。

医療者の仕事は医学を医療に変換することである。

医学には再現性が必要だが、個々の患者は統計の数値でないのだから、再現性のなさは避けられない。「標準医療が最高の治療法」であり、「治せない」患者は「あとは緩和」へ、「緩和も治療です」と言うだけでは、患者の人生に寄り添い、患者とともに新しい知の地平を拓く医療はできないだろう。


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今日の一冊(80)『医療者が語る答えなき世界』” に対して2件のコメントがあります。

  1. キノシタ より:

    金魚さん。
    ピアサポーター参加お疲れさまでした。
    立場上エビデンスのない話はできないのでしょうね。
    その点『すい臓がんカフェ』では代替医療は「否定も肯定もしない」との立場でお話しできるので、幾分気が楽です。
    でも、エビデンスだけでは患者は納得できない、エビデンス通りに死んでいくだけなのかと。
    結局は金中心の世の中になってしまったのが一番の悪でしょうか。

  2. 金魚 より:

    キノシタ さま
    こんばんは~
    ちょうどブログに書いたところですが、県主催のピアサポートに参加中の金魚です。
    しかし、エビデンスの攻撃に食傷気味・・・どうしたもんじゃろの~
    とモヤモヤしていたところに、この記事、ビンゴです!
    ちなみにワルファリンは、食事などの影響などが大きすぎて、患者の個別にかなり寄り添うとコントロール可能ですが、時間の無い現代はダビガトランが簡単という良い面はありますね。
    ただ、いずれにしろ出血リスクはバカになりません。ワルファリンで納豆や酒を諦めるのが嫌という人もいるし、まあ、悪くない薬のように思うのですが、利益相反があると良さも中途半端な印象に・・・残念ですわ。

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